知的な冒険・・・

2018年11月14日(水)
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昨夜は稽古帰りに雨に降られた。

この雨で波が上がれば濡れても上等。

そう思って少し期待して起きた朝。

残念ながら波ほぼ無し。

ロングとSUPのみのインサイドブレイク。

好天につき、

海に浸かるだけでもいいか、

とは思うものの、

いま一つ気が乗らず・・・。
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About 太気拳

様々な拳の種類はあるが、

目指すものは皆同じもの、

とは姚宗勲師の言葉。

静から始まる意拳や太気拳、

それに引き換え、

激しい動きが特長の南派もある。

その何処が同じで、

何処が異なるのか。

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それは展開と収斂の違いだ。

静と動と言う相反するもの。

それは同じものの展開と収斂の違い。

意拳・太気拳は静中で求めた全身の統一、

これを様々な激しい動に展開する。

そしてもう一方は激しい動の中で積み上げたものを収斂して

全身の統一に至る。

静からの展開と動からの収斂。

これは単なる鍛錬ではなく、

知的な冒険・・・。

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眼に神がある・・・

2018年11月13日(火)
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夜中に降ったので、

ひょっとしたら波があるかも。

そう皆さんも思ったようで、

海岸には偵察の皆さん続々登場。

しかし、

思惑に反してサイズ膝からたま~に腿。

こんな朝はスポンジボードの天下です。

最近は結構うまい人も乗ってるんで、

今年の冬はちょっと考えてみようかな。
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About 太気拳

禅を組む時の最初の要求。

第六感も含めて視覚聴覚その他の感覚を研ぎ澄ます。

感覚を研ぎ澄ますの意味は、

外部に対して感覚を開くことだ。

外部からの刺激に対して鋭敏になる、

つまり入力の鋭敏さがまず最初の要求。

簡単に言えば、

入力が無ければ出力もない。

だから出力の前に入力の訓練。

ああするこうする、

の訓練は出力の繰り返し。

入力のないところでの出力訓練は意味を持たない。

だから入力が最初の要求となる。

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眼に神がある・・・、

と言う表現があるが、

ここでいう神とは、

入力の質を意味する。

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頃合い・・・

2018年11月12日(月)
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霧のような細かい雨が、

降っているような

雨粒が空気中に浮いているような

はっきりしない空模様。

そんな中朝一組みは今朝もまた。

うねりは小さいけれども、

これから上がりそうな気配。

朝の稽古が終わった頃がちょうど干潮。

腹ごしらえすればちょうど頃合い・・・。
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半押し・・・

2018年11月9日(金)
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朝からしょぼつく雨で散歩は中止。

そのせいか朝食後も眠気が覚めない。

どうやら雨がありそうなので家を出て海岸まで。

曇天無風波無し。

大潮周りのせいか釣り人多数。

サーファーはたった一人で

辛うじての膝波にトライ。
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About 太気拳

推手で最初の要求は、

相手の力量の在りかを探ること。

相手の力の量と質がどの方向に向かっているのかを接点から知り、

それに呼応すること。

これは中国拳法では聴勁、

つまり相手の力を聴くことです。

感じ取って呼応する。

その上で、

単に呼応するのみではなく、

発勁の準備を整える。

あくまで準備です。

呼応しながら発勁の準備を連綿と続けていく。

これが推手の最も大事な部分。

敢えて発勁などする必要はない。

つまり呼応と準備の連続、

例えれば銃身で照準を定め、

引き金に指をかけたロックオン状態。

カメラなら被写体にピントを合わせて、

シャッター半押し・・・。

この連続が最も大事で、

発勁は単なる結果に過ぎない。

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読解力・・・

2018年11月8日(木)
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インディアン・サマー、小春日和。

いつもより海岸散歩で遠出。

波が無いので、

いつもの皆さんもジョギングしたりウォーキング。

すれ違うたびに「次は何時かね~」のご挨拶。

しばらく歩くと背中に汗が噴き出る。

陽射しを避けて防砂林に入ると、

結構いろんな花が咲いてる。

名前も知らない花、

をちょっと摘んで居間に飾るか。

秋風や むしりたがりし 赤い花

さて、この解釈は・・・。
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About 太気拳

拳の稽古法は人が意図的に作り出したもの。

つまり、

ただ身体を動かしたりポーズをとっているのではなく、

目的を持って作り出したものだ。

その意味では、

巷にあふれる小説や詩などと全く同じ。

其々の作者が表現したいものを明確に持って作り上げる。

しかし、小説や詩は作者がどのような意図で作品を書こうと、

その手を離れてしまえば、

読者のものになり、

読み方解釈の仕方は千差万別。

どう読もうが勝手だ。

10人の読者が居れば10の解釈がある。

その違いは性格、好み、読解力の違いで

それぞれが試されてるようなものだ。

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これは稽古も同じ。

先人が意図的に作り出した稽古法。

そこから何を読み取るのかは各人の自由だ。

しかし、

読書と違うのは目的が明確なことだ。

読み間違うと目的が達成できない。

試されるのは読解力・・・。

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