方と円・・・

2018年4月19日(木)

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朝は満潮で多少うねりはあるものの、

海に人影無し。

散歩してると汗が滲んでくる。

来週はまた前線が接近予想ですから、

水曜か木曜当たりにチャンスあり?

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About 太気拳

方と円・・・。

動きの基本は円。

円の動きが方を生み出す。

円が生む方。

デザインの世界では当たり前に円が方を生みだす。

円が方を生み、

方に円が隠れる。

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負けず劣らず・・・

2018年4月18日(水)

今朝はのんびりと朝食を摂って、

それから悠然と海に向かう。

北風で抑えられ気味のうねりですが、

忘れた頃に腰腹が入る。

人も少なくて波の取り合いもなくのんびり波乗り。

やっとわかってきた新しい板の乗り方。

7ftは動かさないで静かに静かにロングのように乗る。

棒立ちでレールだけ合わせてのんびりムード。

これはこれでいいけど、

何となく物足りない気分。

帰り道に満開の藤の花、

桜に負けず劣らず・・・。

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About 太気拳

まず力を抜く。

抜くべき力は、

入っていることに気付かないところだ。

立禅の注意事項を守って立った場合と、

普通に立った場合。

その違いを力の入れ方ではなく、

抜き具合で探る。

抜けないと、

何時まで経ってもピョンピョン跳ねて見苦しい動きしかできない。

跳ねまわる見苦しさに気付けるかどうかが、

力量の有る無し・・・。

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衣替え・・・

2018年4月16日(月)

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しまった!寝坊した。

眼が覚めるともう外が明るい。

早起きして朝一で波乗りのはずが・・・。

慌てて着替えて海に行くと既に混雑。

始業前の小中学生も交じって波取り合戦。

チョイと離れたところを選んで入りますが、

人が居ないと言う事は、

波があまり来ないと言う事で、

たまに来る波を逃すと長~く長~く待つと言う事で・・・。

まあ、それでも一時間入って三本なら上出来。

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暖かくなってきて去年新調したウエットも

そろそろ選手交代衣替え・・・。

お陰でこの冬は一度も寒い思いはしませんでした。

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About 太気拳

澤井先生のは話に洗濯老婆のものがある。

毎日川で洗濯物を叩いて洗っていた老婆の家に泥棒が入った。

思わずその泥棒を洗濯物を叩く要領で打ったら、

泥ちゃんが昏倒した、と言う話だ。

この洗濯と言う日常的な動作。

同じようなものがいくらでもある。

例えば陶芸家の土練り、

あるいは大工の鉋掛け。

料理人の包丁研ぎ。

これらに共通するのは、

前腕、つまり部分の六面力。

そしてそれらを統合する全体の六面力。

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舞い落ちる枯れ葉に似る・・・

2018年4月15日(日)

うねりは3mを超えてますが、

風も20m近い。

これではどうにもなりません。

夕方には風が変わるそうなので、

明日の早朝に期待。

早寝早起きですね。

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About 太気拳

根節中節末節とものを切り分けると、

六面力においても、

根節における六面力、

そして中節においてのもの、

末節におけるものと分けることが出来る。

根節においては上下前後左右になるが、

中節と末節においては方向が異なる。

何故なら六面とは空間を構成する要素であり、

根節における六面が上下を基本にするのは、

直立する体幹が基本になるからにすぎない。

六面力とは骨格を基本とする構造体には必ず付随する。

だから中節末節は直立の束縛から自由になる。

中節末節は体幹から枝分かれし、

独立した軸を持ち、

それぞれ直交する運動方向を求めなければならない。

特に注意しなければならないのは、

末節、特に掌における六面力であり、

これは二重の六面力の性質を持つ。

ひとつは前腕の延長として、

人差し指と中指で構成される六面力。

もう一つは親指と小指を軸に構成されるもの。

この六面力が複雑な動きを可能にし、

円を描きつつ方を為し空間を埋め尽くす。

このような六面の変化は、

風に弄ばれ舞い落ちる枯れ葉に似る・・・。

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可笑しい・・・

2018年4月13日(金)

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昨日のうねりがわずかに残って、

ポイントによっては辛うじて腿、

たま~に腰。

これなら潮が引けば多少は遊べそう。

準備をして朝食後に出発。

イソイソ入ると、

「渋いよ~」と先輩。

それでもたまに入る腿サイズ。

しかし割れません。

やっと来た波に乗るとフィンが砂を噛んで転倒。

後は皆さんと雑談の海端会議。

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About 太気拳

身体全体を繋げる、

言葉にすると簡単ですが、

何故うまくいかないのか。

体性感覚野と運動野のホムンクルスを見ると、

なるほど、と納得する。

武術において重要とされる部分の感覚野が非常に狭い。

つまり、殆ど日常ではあると感じ取れない。

これは所謂体幹を司る部分が狭いのと同じだ。

だから長い時間をかけて神経を伸長、

つまり感じ取れないものを、

知覚可能にしていく作業を要求される。

武術が学ぶものでも研究するものでもない、

練るものである。

練ることで感覚を磨き上げるとは、

現在在るにも関わらずに感じ取れないもの、

それを掴み取る作業だ。

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無いものを在るように感じる。

逆に言えば、

在るのに無いようにしか感じられないほうが可笑しい・・・。

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