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2009年6月

微分積分

630日(火)

5時半起床。居間に何と息子がいる。「なんだ、早起きか、それとも寝てないのか」と聞くと「本読んでたら面白くって徹夜しちゃった」との事。

これから3時間ほど寝て学校に行くとの事。

「ちょっと良いもん見せてあげる」といって見せたのが数学のテスト。自分から見せるくらいだから無論良い点。

僕は数学はからきし駄目。高校時代、微分積分で滑落、墜落。耳からΣがこぼれ出て、可能性は無限だっていうのが建前って言う事に気づかされました。

もっとも、亡くなった父もそうだったらしいので、これは血筋と言うもの。

それに対して、連れ合いの方はみんな所謂技術系。電気だとか機械だとかの方面。まあ、僕に似なくて良かったね。

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天気は梅雨空。雨が降ってくれなくては困るけど、やっぱりうっとうしい。

雨は午前中の予報。

海は今のところ静穏、ただ石廊崎の方では既にうねりが上がっているよう。

今日は・・・?

マイケル・ジャクソンが4日前に亡くなって、驚きから今度は遺産がどうとか、親権がどうとか言う方に報道の重きが変わってきている。

今日稽古に来る予定の弟子の親戚に不幸があって、来られないと連絡がある。

マイケル・ジャクソンの死と、弟子の親戚の不幸と「死」と言うものの本質的な差はあるのかどうか。

ヒトは生きて、どんなに成功を収めようとそうでなかろうと、自分の心、そこよりほかに生きるところが無い。そういう意味では、世界と名づけられた海に放たれた、一枚の投網のように頼りない。

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生き残っている我々には、世界は相変わらず目の前にあり、一枚の投網の波紋は消え去っていく。

命の意味を僕は知らない。でも、生きると言う事は、世界が投げかけてきているその問いを考えることでもあるんだと思う。

だから考える。

僕の身体は一枚の投網でも、心は大海原さえも飲み込む、時には宇宙さえも。

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携帯

629日(月)

4時半起床。昨夜は夕食後8時には就寝、早く起きるわけだよな。

今朝は昨日と違い爽やか、雨上がりで空気がしっとり、ひんやり。先ずは海まで自転車。いつも月曜日の朝はバーベキューの跡だとか結構ゴミがあって、不愉快な事もある。だから軍手を持っていって掃除、なんてこともあるんですが夕方の雨のせいかきれいでした。

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波はチサンで腿腰、繋がり気味。どうしようかな・・・。

でも結局、9時頃に着替えて海へ。満潮と言う事もあって、茅ヶ崎はうねりのみ。自転車を走らせて鵠沼の通称スエヒロポイント。

地元のローカル様に邪魔にならないように端っこに入ると、なんと先着様に茅ヶ崎からの遠征組み約10名。

お蔭で和気あいあい、おしゃべりしながら楽しく遊べました。サイズはたまに腰。

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帰って一休みしてから駅前の家電量販店へ。別に電化製品を買いに来たんではなく、携帯を見にきた。

手持ちの携帯は買ってから約2年。別に何の不満も無いんだけれど、電池が弱ってきた。

充電しても電話を二本も受けると電池切れ。電池を替えるっていう手も勿論あるんだけど、まあ、ここら辺が買い替え時かということ。

で、見たけどまあ凄い機能ばっかり(相変わらずの時代遅れの私ですが・・・)。

電話・メール。たまにインターネットで十分なんだけど、機能満載。カメラ・テレビ・お財布は当たり前、読書機能だとか色んなものが付いてる。カメラなんて僕の持ってるデジカメより高機能。その代わり勿論高額。45万は当たり前、ローンで24回払いだから月々いくらって言うわけ。

それだったらちょっと足してサーフボードを買いたいって言うのが本音。

何かあほらしくなって買わずに帰ってきた。

どんな会社でもリスクは分散は当たり前。いいお得意さまでも、一社に頼るとなんかの時に大変だ、って言うもんだと思うんだけど、携帯にそんなに詰め込んだら、もし失くしたら大変だよ。

僕の場合、だいたい電話だって掛かってくるだけであんまり使わないし、テレビだって家でもニュース意外あんまり見ない。

本は図書館だし、電車の中で音楽を聞くって柄じゃない。

で、何軒か携帯屋さんを梯子したら、んん。何が、んん、かと言うと値段。結構値段て違うんだ、とこれだけは学びました。

と言う事で、僕に電話して通じなかったらごめんなさい。

きっと電池切れです。

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ドンマイ、ドンマイ。

628日(日)

5時起床、お茶3杯。お茶だけは贅沢な飲み方。茶葉を多めに入れてたっぷりのお湯、ゆっくり出してから大き目の湯飲みで飲む。豊かな気持ちになる。飲んでるところで朝練に行く娘が早めに起床。娘には紅茶の準備をしてやる。

うちは飲み物に関してはバラバラ。自分は日本茶、連れ合いはコーヒー、娘は紅茶、息子は牛乳。

一息入れて海へ、微オン、サイズ膝?この時間に入っているのは勿論いつもの皆さん。このサイズでも上手く乗ってるのが不思議。乗って、ターンして、あっという間にノーズ・ライディング。こういうときに海に入ると、大体自信を失って上がるのは、やっぱり下手なんだよな、と見物のみ。今朝は日曜の為かアウトリガー・カヌーも出てます。浜にはまだ数艇が出陣準備中でした。

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こんなに朝早くからバーベキューの場所取り、ご苦労様です。

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about太気拳

梅雨の合間、曇り空で稽古開始。風がそよそよ吹いて気持ちよく禅が組める。このところいつも感じる浮遊感は一体なんなんだろう、とぼんやり考えながら立禅。手も脚も無くなって、ただ自分だけになって漂っている。手や脚の存在を忘れて本体だけに成ってる。「そうか、手脚ではなく、気持ちが中心にだけ向いてるってことかな」。意識と感覚で世界を漂う、これはこれでリラックス。気持ちが本当に開放されて、頭の芯がほどける。究極の癒し???

毎週参加、と言うわけにはいかない会友員には、基本的な太気拳の捉え方から話す。話としては理解できても、それを身体に引き継ぐのはそう簡単じゃない。手脚なんかオマケ、といっても手脚でしか動こうとしない自分に苛立ってるとは思うけど、心配はしない。やっていけば絶対に判る時が来るからだ。慌てなさんな、人生に結構時間はあるよ。

途中から小雨、早めに推手、最後に組み手。うちに来る前に他の武術を10年以上やった弟子が最近組み手に開眼(って、まだ半眼だけど)。動きながら出来るようになってきた。まじめに間断なく積み重ねてきたもんね。

何をしなければいけないか、それが判ってくるだけで変わってくるのは見ていて嬉しい。

反面、この前出来ていたことを忘れてしまう事もあるので、これは残念、また今度。

まあ、こんな事の繰り返しで気が付いたら強くなってくる、って言うのが順序。これもやっぱり慌てなさんな。

入門して始めて組み手の弟子、どうだった、に「何にも覚えてません」。

ドンマイ、ドンマイ。

「人まねでなく、自分の三味線を弾け」 津軽三味線の祖「仁太坊」の言葉。

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震脚・・・?

6月27日(土)

5時半起床、って言うのは嘘。目覚めたのは5時半だけど、そのまま眼を瞑って寝た振り。階下で連れ合いが朝食の準備をする音、部活の朝練習の支度をする娘の声。毛布に包まってそんな音を聞きながら、枕もとの網戸から忍び込んでくる湿気を含んで冷たい朝の空気を感じ、土鳩や最近歌うのが上達したホトトギスの声を聞くのは、日常の贅沢。なにを考えるのでもなく、昨日の事や今日の予定が脈絡もなく浮かんでくるのに任せッきり。

自分が蝶になってホロホロ飛んでいて、ヒトの自分とどっちがホントだって言う感じはこんな状態かもしれない。まあ、幸せって言えば幸せ。

ボーっとするのは良いもんだ、と6時半前に起床。娘は出かけた後。送り出せなかったのがちょっと残念。

波は殆どなし。何とかならんかね・・・。

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と言いつつ稽古に。

東京の稽古の帰りの公園、フリーマーケット。

暑い中ご苦労様です。

ちょっとしたアジアのどこかの国のバザールみたい。

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稽古が終わっての夕方。駅の駐輪場で自転車を出し、ふと思って海岸へ。

その途中で缶ビールでも買って海を見ながら一息ってのも良いか、と酒屋の自動販売機に。

ところが、ところがです。お金を入れてボタンを押しても何にも出てこない。もう一度やり直す。でも出でてこない。

「すいません、これ壊れてません?」と言うとご主人が出てくる。

「申し訳ありませんね、免許証を入れないと出てこないんです」

「ええ、世の中はそんな風になってるんですか?」

「そうなんですよ、お蔭でお客さん減っちゃって、わざわざ免許証持って買いに来る人ばかりじゃないですからね。自販機のリース代も出ないくらいなんですよね~」

そういえば、最近自販機で買ったことも無かったし、タバコも吸わないから何とかカードも無用の生活。

うーん、時代は変わってるか(って、ちょっと遅いでしょうか)。

About 太気拳

昨日の稽古で感じたのはみんな背骨の力が使えてないこと。と言う事で昨日からそこら辺の力を力を引き出す体操を含めて稽古。

手脚の力は今更言ってもしょうがないから、それは置いとく。

いつも言うように、大事な事は眼に見えないこと。

「中心の力」とか結構わけの判らない難しい事言うけど、背骨の振動もそのひとつ。

よく中国拳法で「震脚」って言うのがあるけど、これは形でやってるからそうなる。足を踏んでから力が手に伝わるって奴。でも、それは稽古だからそういう風にやってるだけ。本当は背中の震動が脚に伝わり、同時に手に伝わるって言う順番なんだよ。逆なんだよ、でもわからない人がそれを見つけるための形を「震脚」に求める訳だと思う。つまりその背中の震動を見つけるための形が「震脚」。中心はあくまで中心だ。太極拳や八極拳だとか色んな武術でやってるけど、その意味は背中の震動を引き出す為の形。形は形のためにあるんじゃなくて、形じゃない何かを生み出す為にある。それが中心の力。それが引き出せた時、形を抜け出し、先日書いた守・破・離の守から破になり、破から離を生み出すんだよね、きっと。

その中心の力のひとつが背中の震動。もっとも、他にも一杯あるけど、そのひとつがこれって言うことだ。

でも、この文章、最後のフレーズの文字サイズが違うのは一体何故?

何でこうなるの・・・。

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暗黙知と形式知

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5時起床。昨夜はお疲れモードで9時就寝。お蔭でぐっすり眠れて気分爽快。さっそく波チェック、うねりは結構あるが満潮の為割れない。何人か入ってますが、非常にインサイド。波に乗ったら岸に打ち上げられそうです。と言う事で、安心していつもの公園でのんびり立禅。波がないと心は平穏、静かなもんです。特に最近は立禅を組んでいると、浮遊感と言うかなんと言えばいいのかわからないけど、ふわっとしてリラックスした気分。周りの空気と遊んでるようないい気分になる。帰って朝食、そして雑誌の原稿書き。書き終わったところで、見直しの時間をとるために着替えて海へ。無くても良いと思っているのでのんびり自転車で走って海へ。サイズ膝くらい。顔見知りのサーファーと、無くなるの早いですね~、と定番の挨拶とおしゃべり。サーファーの挨拶の定番は他にもある。ちょっと遅れて海に入ると、先着様が「今まで良かったんですよ~」。ちょっと早めに上がると次の日決まって「あれから良くなったんですよ~」。はい、どうせそうでしょうよ・・・。

About 太気拳

どうも「暗黙知」って奴が気になる。日常を生きていて、何でかわからないけど知ってること。何時覚えたんだか、何で知ってるんだか判らないけど知ってるって奴。一部の科学って言う奴はそれを言葉にして「形式知」に置き換えてるんだって人もいる。つまりなんでか判らないけど、知ってる事を改めて実験して裏づけを取って言葉にしてるって言う事かな。

「形式知」を裏で支えてる「暗黙知」っていう構造かな。サーフィンで初めて板を動かせた時。この時に実はそう思ったんだ。波に乗って板をどう動かせば良いのか、なんていう事は何にもわからなかった。なにせその頃は波に乗って、板の上に立てれば本望、もう死んでも満足ってレベル(まあ、今もあんまり変わらんかも知れんけど)。何でかわからないけど波に乗れて、何でかわからないけど「何とかしなくちゃ」と思った。で、不思議な事にボトムに降りてレールを入れると、板が動いて波のトップにいった。次の瞬間にレールを外すと板はまたボトムに下りていく。それを繰り返す事で、波に乗れた。「俺なんでこんなことできるんだ!」その不思議感に無理やり答えを引きずり出すと「暗黙知」。知らなかったけど、知ってた。

武術なんていうのも、伝えていくうちに色んな「形」を生み出していくけど、それは単なる「形式知」で、大事なのはそれを支えてる「暗黙知」じゃないんだろうか。こう来たらこう受ける、なんて誰も教えなくたって、何か来たら避けるもんだよ、普通、そうじゃないかね。それを無理やり形式に絡め取ろうとする。そんなことより自由に「暗黙知」的なことを引き出せるようにしたほうが、自由で活き活きしたものになるんじゃないか。そう思うんだけどな。

そう思ったら、太気拳は五感を開く稽古をして、ああせい・こうせいじゃなくて自由に動く稽古をして、ああ、これって「暗黙知」の解放かって思う。人の力を引き出すって言うのはこういうところもあるんだな~、と妙に納得。

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本日 祝祭!

6月25

5時半起床。パソコンを立ち上げている間に洗顔。平塚沖のデータチェック。北風うねり1m超、を確認。その瞬間に本日の行動計画決定。ベランダのまだ濡れているウエットスーツ(2.3のフル)を着込み、冷蔵庫の麦茶を二杯。自転車にボードを載せて海へ。一緒に起きた連れ合いは、慣れたもので(勿論呆れ顔で)「気をつけて」と一言。「おお、任せとけ!」(って何を)。

いつものポイント、サイズ胸。

先着の皆さんに挨拶しながら入る。

みんな機嫌のよさそうな顔、顔、顔。

「どんな感じですか?

「結構形の好いのはいるよ!」

満潮で厚めだけど、結構力のある波。本日は祝祭!

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この写真はサイズが落ちてからでした。

二時間半ほど入って帰宅、朝食。

雑事を片付けて再び・・・、なんたって今日は休日。

別のポイントで2時間、堪能。

しかし、2時間経過すると途端に波が取れなくなる。

集中力が切れてくるって感じで、取れない波を取ろうとして無駄に体力を使う。

ここら辺を注意かな。

技量は・・・、まあ、こんなもんでしょう。

ちょっとレイト気味のを取れたのが嬉しかった、ちょっと進歩したんかな~。

About 太気拳

教えるのが難しいって昨日書いたけど、これは何かって言うとすれ違いって言うことだ。最初始める時はみんな何か技術みたいなものを覚えようと来るみたいだ。ところがこっちにはそんなことを教える気は殆ど無い。殆ど無いってことで全然無いわけじゃあない。でも技術を教える前にやることが一杯あるでしょうって言う事にみんな気がつかない。

当たり前だけど、サーフィンの技術は波に乗って、つまりボードの上に立つって言う前提から始まる。それができての技術。

ところがみんな来る時はそう思っていない。サーフィンに例えればボードの上に立っていないのに技術を覚えようとする。つまりきちんと自分が立てていない事に気がつかない。何故なら、普通には立っているから。普通に立っているからそれで良いと思っているようだ。

普通に立ってたら、いくら稽古しての普通だよって事に気が付かない。

まあ、普通で好いんならそれはそれでいいんだけど。

それでいいのなら太気拳なんてやる必要は無い。

普通に立つって事と、よく立てるって言うことは全然違う。

そんな事は立禅を組めば直ぐ判る。立禅を組むと、さてどう組んだらいいのか迷う。

どう立ったら良いのか、と言う疑問が初めて浮かんでくる。

重心は何処に置けばいいんだ、踵は、指は、膝と足首との関係は。

その疑問が浮かんできて、初めて自分が上手く立てていない事に気が付くわけだ。

そのとき初めて、どう立てばいいかって言う事に向かい合っちゃうわけ。

つまりそれまで意識してないことが問題になってくる。

きちんと立ってない、なんて思っていない。

つまり出来てないって事に気が付かない。

できないを知らない。

知らないを知らない。

「足るを知る」という言葉があるけど「足りないを知らない」。つまり一番根本の立つと言う事が出来ていない事に気が付かない。

そんなところでいくら技術なんていっても、所詮は砂上の楼閣。

その問題意識のすれ違いが埋まれば稽古は割とスムーズに進む。

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守・破・離

6月24

5時起床、梅雨空。パソコンを立ち上げて、天気図と予報、平塚沖波浪データチェック。低気圧接近のせいで南の風が東にシフトしているよう。通過が午後でその後が一番よさそうですが、どうしようか、と思案。

で結局夕方入ったんですが、思ったほど上がらず残念。16時頃に一瞬だけ胸くらいに上がったんですが、潮が上げたせいか乗れなくなりました。

about 太気拳

昨日の稽古ではつくづく教えるって言う事の難しさを痛感。教えるって言うけど、自分は一体何を教えられるんだろう。

よく守・破・離と言う事を芸事で言う。もともとは禅の言葉で、能の世阿弥が言ったそうだけど、太気拳ではそれはどういう事になるのか。

物事を習うにはなんでも最初に形から入る。形がなくては始まらないからだ。でも形は形を学ぶ為にあるんじゃあない。形を通じて形の中にあるもの(つまり形を借りて別のもの)を見つけるわけだ。

太気拳では立禅を組む。何時も同じ公園で禅を組んでいると散歩の人と顔見知りになる。稽古の合間に何をしてるんですか、と聞かれる。答えようがないんだけど、まあ、良い立ち方を探してるんです、と答える。

別に煙に巻いてるわけじゃなくて、本当にそうだからだ。

立ってみると立ち方を知らなかった事に気がつく。いい姿勢ってなんだ、って事に眼が行く。これが立禅という形を通じて、形とは別のもの(つまり自分と言う自然)と向かい合っていくわけだ。そうすると、自分がこうだって思ってることが、ほとんどそうじゃないって言う事に気がつく。良い姿勢だとか言われてる事が結構不自然でいい加減だと言う事を自分の身体が教えてくれる。

自分と言う自然のあり方が、社会的な常識や思い込み、学校で習った良いとされる事とは別のところにあるのが判ってくる。だけどこれは形じゃない。外から見えてくる形とはちょっと違うわけだ。だから教えられない、見つけるしかない。

教える立場としては、自分との向かい合い方を教えられるだけで、そこで何を見出しか、は教えられない。言葉なんかで教えられるのは本当に小指の先程度しかない。

それでも何とか伝えようとするから、しんどい。

形を通じて、自分と言う自然と向かい合って、何時か形を取り去っても自分と言う自然が立ち現れる。それが形が不要になった時。

それが守から破への転調の時なんだろうな。

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風波アップ

6月23

5時起床。ゆっくりとお茶を飲んでから海へ。南の風7~8メートル、風波で腹腰くらい。直ぐ着替えて海へ、とは今日は行かない。風が昼間には少し弱くなるとの予報なので急がず慌てず、大人の余裕です。

それに8時に車検に出した車を取りに行く予定なのでのんびり近くの公園で立禅。朝食後自転車でスタンドへ。今まで車検はディラーに頼んでいたんですが、今回はいつもガソリンを入れているスタンドにお願いした。

結果ディラーの見積もりより15000円安くなった。ディラーの営業にその旨を伝え、金額を言うと溜息をついてました。

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帰宅後着替えて海へ。近所で唯一風をかわせるポイントなので結構混雑。ビジターも多く、インサイドに初心者多数(って、自分もその中の一人なんですが)。

サイズは朝一より少し上がってきて胸から肩くらい。入っているうちに徐々にサイズアップ、結構アウトから割れるようになったが、ジャンクに。

上手な人の乗り方をじっくりと観察。ちょっと新しいイメージで乗れたのがありました。何本か良いのを取れましたが、風波は疲れます、と言う事でカラータイマー鳴動で終了。

みんな実に上手ですね~。

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朝から とほほ

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6時起床。昨日呑み過ぎでやや頭が重い。

本日は稽古なし、ちょっとお疲れの感あり。

波チェック、と思ったが海まで行く自転車が無い。

と言うのは、昨日の朝は駅前の自転車駐輪場に自転車を預けて出かけた。

にも関わらず、飲んだお蔭でそれを忘れて家まで歩いて帰ってきた。

と言う事で、自分は家に居るにもかかわらず、自転車はいまだ駐輪場と言うわけ。

朝から、とほほ、と言う感じで駅まで歩いて自転車をとってその脚で海へ・・・。

サイズは腿くらい、一週間ぶりにの波で勇んでサーフィン、と言うわけには今朝はいかないんです。なぜかというと家の車が今日から車検。海に入ってからにしようか、と一瞬思ったんですが、約束厳守ということで先ずは車検場へ。

帰ってから朝食後某ポイントへ。先乗りのローカル様に挨拶して海へ。

潮が引いてきてサイズは腹腰、ワイドでいまいち。しばらくしてから別のポイントへ移動。ここはサイズこそ少し落ちたけど、インサイドまで乗れる波。合計4時間でカラータイマーが鳴りそうだったので終了、ふ~。

朝一はキッズの独壇場

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家に帰ると、朝送り出した大学生の長男がいる。どうした、と聞くと「登校禁止」。何だそりゃ!何と新型インフルエンザの患者が一人出たとの事。濃厚接触者(こんな言葉今まで知らなかった)無しで心配はあまり無いようだってさ、とは息子の弁。

そうこうする内に中三の娘が帰宅。部活で肩を痛めたので整骨院に行くとの事。連れ合いも腰が痛いから一緒に行くと言う。

「それは神経痛じゃないの」と言ったら睨まれた。

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結局 ビール

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4時起床、しとしとと梅雨空。相変わらず波なし。平塚沖の波高62センチ、南の風でただいま殆ど満潮。これではサーフィンできません。今日は早朝しか海に入る時間が無いんで諦め。

天気図を見ると南の風で、潮が引けばできそうな感じではあるんですが・・・。

一体湘南の波はどこいっちゃたんでしょうか。台風は中国本土のほうに行きそう。日本には影響なさそうです。台風被害が無いのは良いんですが・・・。

今日は月に一度の太気拳基礎講座。遠方から来る人も居るので中身濃くやりたい。

今回の内容は、歩法なんですが、それに加えて先週から組み手で気がついたことを加えてやっていこうかと。

昨日の組み手で気がついたことは、実を言うと自分で弟子に言っていた事。それに改めて気づいたわけ。まあ、情けないって言っちゃあ、情けないんですが。まあ、判ってる事をしっかりやってるかっていうと、そうでもなかったりして・・・。

だから稽古するんだよな~。

講座では歩法を中心。

しかし、だ、見てるとみんな手は動いてるけど、その大本の肩が死んでる。皆なんで肩甲骨が動かないんだろう。と言う事で、練りで肩周りを意識して稽古を進める。

別に肩甲骨が動けば良いってもんじゃないんだけど、これが動かないと腕の力だけに頼るようになる。

勿論此処が動くという事は、所謂インナーマッスルが機能してるということ。

背中って言うのは無論自分では見えない。

見えない所は無い事にしてしまう、って言うのが人の常。

それを顕在化させて活かすのが武術って意言う事なんだけどな。

でも、そんな事考えたことも無いトンデモ武術家も多いしな~。

まあ、人のことは良いけど。

さて、最近の基礎講座。

結構みんな禅を組んできてるようで、新しい人もそこそこの感じになってきているのが嬉しい。

まだ推手まで進めない人もいるけど、此処はじっと我慢。

諦めずに稽古すれば誰でもできるようになるからね~。

最後の組み手では、なかなか思うとおりに行かないよう。

だけどまあそれはしょうがないでしょう。そう簡単に行かないもんだよ。

なんたって相手はサンドバッグじゃなくて生身なんだから。

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と言う事で、最後はこういう事に。

暑くなってきたので、稽古の後のビールはたまりません・・・。

今日は近くの定食屋で、結構安いんです。

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新手 大吟醸

6月20

なんと7時半起床。どうせ波無いから、と半分ふてくされ気味。月曜日に膝波に乗っていらい。こんな一週間も珍しい。静岡サーファーの運営する某サイト、毎日のサーフ日記なんですが、まあ、良く毎日波があること。毎朝4時には海に入ってる。羨ましい、の一言。波があれば負けないんですが・・・。

という事で、納豆と豆腐のヘルシー朝食の後、今朝は海も見ずに稽古に出発。見学希望の人と待ち合わせて稽古場へ。先着のN君の「いつもより早いじゃないですか」に、一言多いんだよ。

見学のS君に、見たって面白くないから立禅でも組むか、と言うと「見よう見まね、と言うか本やビデオを参考にしてやってます」と言うので早速始める。

立禅ていうのは、教えようが無い。ただ組んでりゃそのうち判る、そのうち感じるっていうもの。でも、それじゃしょうがないので色んな教えかたを考える。形を見せたって、どうせ何にも見えない。感覚を教えないといけないから、いつも迷う。なにせ、自分の感覚と言う内的なものを他人に移し変えようと言う作業だからだ。やってみてもらって、その中で自分で探し出してもらうしかない。だからその人その人を見て教える。ケース・バイ・ケースって奴、まあ気分しだいとも言う。

で、今日は肩の感じを教えるのにちょっと一工夫、新手を考案。「コップになみなみと酒を注いでな」と始める。「その酒をこぼさないように、こうやって隣の部屋の運ぶんだ、何せ大吟醸だぞ」なんて言いながら、背を緩め腹を緩め肩を緩めるんだっと講釈。

人によるんだろうけど、この例えが上手く言ったようでそこそこな立禅になった。本人もその感覚が面白かったようで「何か初めての感覚です」との事。

めでたしめでたし。

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土曜日は午前と午後の二本立ての稽古。その両方で軽く組み手。午後の組み手で基本的なことを少し守れたので収穫。この一週間でそこそこの成長かな。

ただ、ちょっと力が入ったのが気になる。

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学者と音楽家

6月19

5時半起床。本日も引き続き波無し、ノーサーフ。台湾の東海上に台風3号が発生。例年はもう67号であってもおかしくないと思うが、今年はちょっと少ない。この台風の名前は「リンファ」蓮という意味だそうです。ちなみに1号は「クジラ」命名は勿論日本。「リンファ」は多分勢力を弱めてしまいそう。なかなか湘南で波にありつけくのは難しい。

さて、きのうアドレスを書いた対談、見た人はいるでしょうか。最近テレビによく出る脳科学者の茂木健一郎氏と音楽家の高橋悠冶氏のお二人が登場。

感想を書く、なんて言っちゃった手前もう一度見ました。

認識論というか存在論というか、そんなところの話なんですが、話が結構食い違う。これは昨日見たときは、高橋悠冶氏が意図的にやってるのか、と思ったけどどうもそうではない。簡単に言うと(言える訳無いけど、だから見てください)音楽家と科学者の視点の違い。問題意識はそんなに離れてない気がするんだけど。

同じ茶筒でも上から見れば丸くて、横から見れば長四角。

横から見るな!俺は上から見たいんだよ!

認識されてない「お化けみたいなもの」、意識に上ってこない「これ」を科学者として自分の外部にあるものとして見ようとする茂木健一郎氏。当たり前だけど、学者は客観視するということが前提になるから、物事は自分の外に置かなければ話にならない。そうでないと自分の主観をいくら言葉にしても認められない。だから「これ」と自分の間には距離をとらないといけない。

それに反して「これ」を内部のものとしてそこから何らかの論理を生み出せないか、という高橋悠司氏。

何かそんな気がしてならない。それを丸ごと受け止めようとするわけだ。

学者だから対象を外部に置かないといけない人と、音楽家だから自分の中のそれに任せなくちゃいけない人の違いなのかな~。

茂木健一郎氏はもともと物理屋さん。その頃は物理のいくつかの法則で世界がわかるんじゃないか、と思っていた、と言っている。つまり、世界は自分の外にあるものと考えてたっていうことかな。

これに対して音楽って言うのは、時間。時間ていうのはまだ判んないんだよね、物理でも(じゃなかったっけ)。

物理学って言うので思い出したけど、これは別の音楽家のこと。

バイオリニストの五島龍氏、20歳の彼はハーバード大学の物理学科に席を置いている。あるテレビ番組で「なんで音楽家なのに物理学科なんですか?」の問いに、「空手が好きで、物理でその原理を研究したくて」と答えてたんです。

なかなか硬派な音楽家。

ふーん、と思ったんです。何をふーんと思ったかって言うと、彼にとって空手は自分の外にあるもんなんだなって事。だから物理の研究対象になるんだなって。

人に教える時に、物理を例にとって説明する事は僕の場合もある。それは人の動きは物理だからだ。でもそれはホントに瑣末な技術的なこと。

そんな事は稽古してれば自然に物理的に無理の無い動きになってくもんだ。それを短縮したいから物理的って言う共通の言葉を使うだけ。

ホントに大事な事は、物理では(って言うほど物理できなかったけど、たしか高校で赤点を取ったのは物理と地学)説明不能。これは本能的に判ってる。説明できるのは身体の動きです。身体の動きが武術だ、なんて思ったらそれは違う。

武術は外から見れば身体の動きだけど、大事なのはやっぱり認識できない「お化けみたいなもの」なんだよな~。

大事なのは。形に出ないところの力やバランス。

これは姿勢とか身体の構えというところなんだけど、これが変わらないと、いくらやっても何時までも普通の人なんだよな。

だけど五島龍氏は何で自分のバイオリンの演奏を物理学で解析しようと思わなかったんだろう。

きっとそれは音楽が氏の内側にあるからじゃないだろうか。

自分の内側を語ろうとする時、それは物理学ではなくて、「物語」になるんじゃないだろうか・・・。

そして言葉によらない「物語」が音楽なんじゃないだろうか・・・。

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存在と認識の物語は、絡み合い捻りあわされて時間という砂に覆い尽されていくのか。

それとも砂を飛ばす風になぶられて、姿を現しつつあるのか・・・。

なんちゃって

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亡霊のように

618日(木)

6時半起床。今日は稽古なし、ということで気が緩んだわけではないが、昨日青山から帰ったのが11時半。帰ってからウイスキーを舐めながら本を読んで夜更かししたので寝坊。波が無いのは判っていたので、ゆっくり朝食を食べてから海岸へ。辛うじて膝くらいの厚い波がブレイク。今日はノー・サーフ。

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 お腹が落ち着いた10時頃に再び海岸に自転車で。

今度はランニング、といっても軽やかにという訳ではない。最近は砂浜を走る。というのは二月ほど前に遊歩道を走って膝を痛めた。痛みが去るのに一週間ほど掛かったので、それから天然のクッションのある砂浜を走る事にした。舗装した所を走ると何故か速く走りたくなる。速く走ると着地の時に膝に負担が掛かる。砂浜やガレ場、下草のあるところを走ると速く走れないものだ。きちんと地面を踏みしめるように走る。石をよけ、穴を飛び越え、犬や猫の落し物を踏まないように慎重に走る。ちょうど「這い」のようで膝への負担はあまり無い。

 

特に引き潮の海岸を走るのは気持ちがいい。潮が洗った砂浜に自分の足跡だけが点々とついていく。往復8キロを一時間かける。よぼよぼよろよろ、砂に脚をとられ石に躓き、たたらを踏み、さながら悪夢から逃げる亡霊のようにして走る。結構情けない走り方じゃないかと思う。

それでも走るのは面白い。走っているうちに自分がどんどん変わっていく。走り始めの自分と、5分後の自分と10分後の自分。気分がどんどん変わっていって、走る前には想像できない自分になっていく。

身体は熱を帯び、汗が吹き出し、心臓はここぞとばかりに自己主張を始める。

走らない人に走る人の気持ちは判らない。なんでもそうだが、やらない人間にはやった人間の輝きを一生理解できない。やった人間にはやらなかった人間の貧しさが判る。

上手く行くと、場所によっては往路で付けた自分の足跡に復路で巡り合う。足跡は確かに自分が30分ほど前に自分がつけた。

おい、その30分前の俺は何処にいる、そう思っても何処にもいない。此処に居るのはそれから30分間走り続けたこの俺だ、30分前の足跡をつけた俺とは別人だ。自分が自分で連続してるって言うのは、本当にそうか。もう一度言う、俺はその足跡をつけた俺とは別人だぞ。

30分前に見えた世界と、今見える世界は別もんだ。

今。今。今。今しか、今此処にしか俺は居ないぞ。今しかこの世界は無いぞ。

「我思う、故に我あり」って言った「お前」は今何処にいる。

こういうのを昔の人は「万物は流転する」とか「諸行無常」とか言ったんだと思うけど、面白い対談があったのでアドレスを書いておきます。

http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20051217/

武術家の私的感想はまた明日・・・。

さて、走って汗かいて、ビールでも飲むとまた別の自分になっちゃうんだけど・・

617_001 これは猫の足跡。

お前は今何処に居る・・・

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枇杷&ながらみ

6月17日(水)

5時半起床。昨日の雷雨の影響か、夏が近いせいで早朝にもかかわらず日差しは強い。海岸で空気を胸いっぱいに吸い込む、透明、清澄、爽快、命が延びる。

いかんせん海は殆どフラット、「これで波があればね~」と波チェックのローカルさんと定番の挨拶。秘密の場所で立禅を10分。

此処のところ気になっていたのは、通り道にある枇杷の木。実がたわわになっているにもかかわらず、誰も採る人がいない。ちょっとこじゃれた洋品店の植え込みにあるんだけど、落ちた実が無残にもボトボト根元に転がっている。で、自転車から手を出して「ちょっと失礼」。供養のつもりでいくつか・・・。

お店の人はきっと実がついてることには気がついてるけど、これを食べ物と認識してないのかも知れない。小中学校の通学路だから子どもも手を伸ばしてもおかしくないんだが、その気配もない。躾がいいって言う事もあるんだろうけど、やっぱり木になってる物を食べ物だと思ってないんだろう。自分が子どもの頃は、裏山でアケビや石榴を取って食べたり、得体の知れない木の実を食べて物凄く苦くて難渋したのもいい思い出。もし自分だったら、毎朝の楽しみに失敬してたかも知れない。いや、その前に当時だったらとっくに持ち主が採ってるか・・・。

食べ物は、お店で売ってるものを食べる、これが当たり前になっているけど、本当にそうか。自分だったらスーパーで売ってる枇杷より庭の木に実ったものの方が安全で自然な感じがする。生き物から命を分けてもらって命を繋いでいる、って言う単純な事が日常の中から失われて久しい。山で木の実を採る、海で貝や小魚を採る。そしてその命を食べるって言う当たり前。でも、都市化って言うのは命を繋ぐ食の現場と生活を分離していくんだな。だから食べ物って言うのはお店で売ってるもの。値札がついてラップに包まれた食品では命のつながりが希薄。他の命を摘んで自分が生きながらえてるって言う実感が失われていく。

ひょっとすると件の洋品店の人も枇杷はお店で買うもの、と思ってるのかもしれない。

正しい食べ物(!)はスーパーで売っていて、近くの木になったり海で直接採ったものはジャンク、なんて思ってるんじゃないだろうな~。

波のない海に入っていい加減飽きた先日。腰ぐらいの深さのところで足先で砂地を探る!!!ありますね~、あります!!!「ながらみ」という巻貝。それも結構大きい。すぐ脇で漁師の人も採ってるけど、こちらは道具も無しなのでお目こぼし(勿論本当は漁業権が無いといけないんですが)。逆にこっちの方が一杯取れるよ、と有難いアドバイス。帰ってから塩茹で。晩酌の友になったのは勿論でありました。

写真の「ながらみ」、もう食べた後なので中身は入ってません。

          ご馳走様でした。

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吉兆!

6月16日(火)

自宅から車で10分ほどの所に広い公園がある。月に2回ほどそこで稽古する。高台だし樹木が多く気持ちがいいところだ。稽古を初めて暫らくして下を見るとクローバーが群生している。四葉のクローバーって本当にあるのかな、と見るとなんと視線の先に!本当にあるんだ、と見失わないように摘む。生まれて初めて見つけた四葉のクローバー。サーファーはロペスの板、なんて発想するかもな~。でも、これ幸運の兆し。

この前も書いたけど、実は組み手にちょっと迷いがあった。自分のキャパシティーを広げようという感じでここの所やってたんだけど、それはもう良いんじゃないかって感じてた。というか正直言って上手く行かない。で、どういう感じでやればいいんだろうって考えてた。結論は間口を広げる方向ではなく、自分の得意な方向を更に進めていく、これでいいんだと納得した。久しぶりになんだかスッキリした気分で組み手。

じゃあ、どうすればいいのかって言うのは簡単。組み手でやってはいけない事は、迷い、逡巡、躊躇、懼れ。という事は逆に言えばそれを相手に引き起こせばいいだけの事。それを見て取った瞬間に自分がそこに付け入れるかどうか。

此処のところ納得できない組み手ばっかりだったのは此処が原因。自分がこうしようああしようとばかり考えていて、相手の引き出しを開ける事に眼が行ってなかったって事。組み手は相手あっての事。先ずは相手を考えて初めて切り結ぶことも出来るっていうところだ。間合いという距離と時間と可能性の錯綜するところで、相手の逡巡・躊躇を引き出すことをターゲットにして向かい合えば良い。

此処2年ばかり遠回りした気がするけど、まあ、迷いがあるから成長するんだ。

四葉のクローバー、やはり吉兆。明日はもっといい事があるかも・・・。616_005_2

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スーパー・マン

615_001 4時半起床、着替えて自転車で海岸に波チェック、すこーしできるかなっていう所。今日は稽古もないし午後の引き潮を待つか、と帰宅。

朝食後、再び自転車で海岸散歩。そういえば「しらす干」と思い立って自転車を走らせる。と言うのは、ちょっと走ったところで地引網でしらす漁をやっているところがあって、場合によっては分けてくれる。値段も市価より若干安いし、なんと言っても今取ったばかりのものをその場で浜茹でしたものを食べられる。到着したところ今日は休み。釜にも覆いが掛けられたまま、残念。ついでだからと県立鵠沼公園まで足を伸ばす。此処だけは波がいつでもあるが、いかんせん人多し。入る気がしない。せっかく此処まできたんだから、と緑地帯で20分ほど禅を組む。開放感があって結構気持ちよく組めた。

帰りに知り合いのサーファーTさんにばったり会う。5歳ばかり年上のTさん、二月ほど前にあったとき「俺癌になっちゃった、でも頑張るからね」そう言っていた。その後入院、手術するとは聞いたがその後の経過は知らなかった。

胃の三分の二、すい臓半分、胆嚢取ってついでに(ッてこれは本人の弁)十二指腸も少し。手術に九時間、眼が覚めた時は、身体が動かないし、管がいっぱい身体から出てる。手術としては横綱級だったとの事。「これがその痕」とシャツを上げると、縦に真一文字の手術痕。普通だったらふた月入院するらしい。「それをね」とTさんは笑いながら話す。「ひと月だよひと月、ひと月で退院、先生も驚いてたよ」と誇らしげ。

今日だって退院5日目で犬連れて散歩。スーパーマンって言うのは結構身近にいるもんだ、と感心。頑張れスーパーサーファー、また一緒に海入りましょう!

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相手の土俵

614_004 早朝4時に一旦起床、平塚沖のデータチェック。ちょっと迷ったが思ったより疲労度が感じられたのと波が思ったほどではないので二度寝。7時過ぎにすっきりと起床。

稽古は新入会員を重点的に見る。当たり前に見えることが実は結構難しいと言う事を実感してるようだ。まあ、これからこれから。

昨日に引き続き6人相手に組み手。今日は間合いをいつもより近くする。何でそんなことをやったか、と言うと自分の間合いではないところでやってみるという事。それは人の土俵でやるということで、それでキャパが広がればいいか、と試してみた。できないことはないが、窮屈。やはりこうやってみよう、と考えると身体が動かなくなる。やろうとする事を決めるとやはり脚が動かなくなって喰らいやすくなる。気持ちが硬くなるんだ。

で、非常に不満足、不完全燃焼。

何が問題なのかと考える。やろうとしたことではなく、何でそんなことをやろうとしたのか、と言う問題の立て方のチェックが必要かも、と、帰りが一緒の弟子と話しながら考える。

相手の得意なところに入って、それでも相手を上回るように稽古しようと言う風に問題を立てた。しかし、問題の立て方がちょっと違うかもしれない。

組み手で相手に勝とうという時にすることは何か。それは単純に言えば、相手のやりたい事をやらせない。相手の良いところは出させない。その上で自分のいいところを引き出す。それに尽きる。それでやられたらそれはそれで満足って事、しょうがないって諦めもつく。

稽古の組み手だからといって、相手の土俵に乗るって言うのはどうなのか。ここら辺が問題。指導すると言う事で、相手のいいところも引き出す。その上で自分のキャパをどう広げるか。

結構ここら辺が難しい。ただやっつけるだけの組み手って、最近やった記憶がない。自分の稽古と指導と言う二つの間の矛盾なのかな~。

そんなことを考えて帰宅後海岸に波チェック。日曜日と言う事で人も多いし、波もそんなに良くないので見物、お馴染みのローカルさんと世間話。来週の中ごろにまた上がるかも、との事。

その後、自転車で海岸を走ると海水浴場では「海の家」の建築中。もうすぐ夏、一番下の中3娘はクラブ活動の最後の大会に向けて奮闘中。

この歳になっても、夏が近づくと何となくわくわくする。

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睡眠不足

昨夜は12時半就寝。昨日の波が残っているとの予想で4時に起床、30分後には海に、睡眠時間はちょっと短いけどそこは根性。と思ったんだけど・・・、ぜんぜん夜眠れなかった。

原因は蚊、耳元で羽音プラス何箇所か食われて痒い。今年初めての襲来で、何の備えもなし。お陰でうつらうつら寝てんだか起きてんだかのまま4時起床。ボーッとしたまま海に。先乗りのローカル様に挨拶して入水。サイズ腹、厚めであまり走れないがそれでも何本か乗れたが、暫くすると潮が上げてきたのか割れない。で7時前に上がる。昨日書いたオフ・ザ・リップ、どっかに飛んでて頭に全然浮かびもしなかった・・・。

これだから上達しない。テヘ、ファンサーフ、ファンサーフ。

朝食後東京の稽古へ。

午前中の稽古で最後に軽く組み手。ちょっと試してみたいことがあったんだが上手く行かない。腰を落として手の位置を決め、相手の攻撃を受ける事に専心、と思ったがこれは無理。止まって打ってくる相手ならともかく、前に出ながら攻撃してくる相手に受けだけでは無理。

結局受け方の工夫をひとつ確認できたのと、推手を上手く引き出せるような流れをどうやって作るかが課題、と納得。 やってよかった、しかし軽く組み手をするだけで結構汗、夏だね~。

午後の稽古では、推手の時に空間を守る意識がないのでこれをみんなに注意。立禅が何か抽象的なものではなく、立禅で整った形そのものを守ることが意識を継続させるんだ、と言う事を徹底するのが大事なんじゃないか、と思う。

肝心なのはその許容範囲を稽古を通じて自分のものにできるかどうか、だ。

睡眠不足で頭朦朧、眼元しょぼしょぼ。

今晩は良く眠れそうです。

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コピペできない

教えるって言うのは難しい。形を教えるのは簡単、でもそんな事やってもしょうがないと思う。じゃあ、何を教えるのかって言うとそれは自分の中の感覚。当たり前だけど、人はみんな別人だから自分の中のことを他人の中に移し変えられない。経験と感性・感触はデジタル・データのようにコピペできない。でもそれを移し変えようとするから難しい。稽古を通じてそこで自分が感じて身につけたことを伝える。これが教えるって事だと思うから悩む。かたちが上手くできて「よくできました」だったら楽だけど、自分の感覚を伝えたい。

でも、今日の夜の稽古で少しできた(気がする?)。みんな手首や肘に力が入っている。だから肩にも力が入る。それを直したいと色々工夫したけどなかなか上手く行かなかった。でも今日はちょっとだけ表現を変えたら通じたようだ。対人練習になると思わず力が入るけど、それでも少しずつ変わる気配。まあ、今日のところはここら辺で満足。

最後に「できることをやるのが稽古じゃなくて、できない事をやるのが稽古」と締めくくり。

で、実は言った後に「ん、この言葉、自分に帰ってくるな」。

ボトムターンとトップターン、カットバックだけで満足するなよ、ってことか。

それしかできないもんな~。

そうか~、じゃオフ・ザ・リップ。

できるかな・・・。1

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梅の実取り&胸肩

昨夜は実家に一泊。独り暮らしの母の住む実家に週に一回は泊まりに行く。何をするという訳ではないが、様子を見に行くと言うところ。ついでにその夜の食事と他に作り置きの惣菜を作っておく。料理は結構好きな方で休みの時などは、夕方にビール片手に色々作ったりする。昨夜は鯖の味噌に。で、作り置きにカレーを作った。ちょっと考えてジャガイモの代わりに蓮根を入れてみた。結構いけた、と思うがいかんせん蓮根が大きすぎた。ジャガイモは煮崩れるが蓮根はごろんとそのまま。ちょっと大きいね、と母。確かにね・・・と納得。

で、今朝は庭の梅ノ木になった実を取った。枝を揺らして落っこちてきた実を集める。合計で約6キロ。去年の梅酒もまだ残っているので、この梅は知り合いにおすそ分けと、今年は御酢につけて梅酢を作ってみようと連れ合いと話す。

その後自宅に帰って即着替え。10時に裏パー。波は腹腰サイズだったのが次第に上がって胸肩。連日なので多少はなれて上手く乗れた気がする。まあ、波が良かったから、と言えばそれまでだけど。

昼に一旦上がって昼食。速攻で再び裏へ。しかし、オンショアー強く面がたがた。その上にバックウオッシュで何がなんだかわかりません。なんだか地震体験車に乗ってるみたい、で終了。

サーフィンは下手の横好き。で、頭の問題っていうのは昨日書いたけど、ちょっと待った、問題はそれだけじゃない。考えたら自分のサーフィンは全くの独学。どこかのクラブに所属して、そこで先輩に教えてもらうって言うことがなかった。だからできることしかやらない。当然できないことができるようにならない。

3年経ってから初心者がスクール初日に教えられる事に気がついたりする。まあ、楽しむ為にどうすれば良いか、が工夫って言うこと。楽しみって言うのは、工夫って言うことだ。

組み手とサーフィンて割と似たとこがある。何処が似てるかって言うと、上手い人間は相手を良く知ってるって言う事。組み手で強い奴は、人っていうのはこうすればこうなるって言うのを身体で知ってるわけだ。サーフィンもそうで、波に乗る以前に波の性質を身体で知ってる。

もうひとつ似てるのは、体力は大事だけど体力じゃねじ伏せられないって言う事。人間も波も自然。自然は人の腕力だけじゃどうにもならない。組み手では相手をまな板にのせて料理。サーフィンはまな板ならぬボードに自分が乗って波を料理。どちらも似たようなもんだ。001_2

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チーパー

太平洋岸を低気圧が通過。海岸でどこで入ろうかとウロウロしてると、ご存知ローカルご一行様到着でチーパー船前でまだ南風が吹く中を入水。サイズ腿腰、苦手な風波で刺さる刺さる。やっと立てたと思ったらバランスを崩す。嫌って言うほど自分の下手さ加減を思い知る。それでも一時間ほどすると風も止まり、ややマッシーに。何とか乗れるようになる。一本だけ上手く走れた。雨が上がり、天気の回復とともに人が増える。まあ、ほとんどお馴染みのローカル。平日はこれだから良い、なんとなく和やか。潮が引いてきてサイズ腹胸、しかし南風が入ってきてややコンディションを落とす。3時間ほどで上がる。帰りに裏パーを見るが膝くらいが割れてるだけ。諦めがつく。明日も残ると良いな、と帰る。

昨日の稽古の後、皆と稽古で何をするのか、を話す。組み手で肝心なのは運動神経なんかじゃない、って事。それより、問題は頭の中。組み手で何をどのようにしようとするか、それが問題。運動神経なんて今更どうしようもない事は考えない。自分は変えられないんだから、身体をまとめる稽古をして、その上でどういう視点で相手と向かい合うかって言う事が大事、と話す。視点て言うのは何処にあるのかって言うと、それは頭の中。別の言い方で価値観。ただ相手に勝とうなんてことじゃなく、もっと別のこと。

上手く言えないけどね。まあ、大事な事は上手く言葉にならないもんだ。

一緒に海に入ってる上手なローカルの運動神経が僕よりいいかって言うと、それはまた別問題。サーフィンは全然僕より上手いけど身体能力はそうじゃないって言う人も多いはず。でも、海に入るとやることが違うって言うのは、身体の問題より、判断力、つまり頭の問題。経験は勿論一番大事だけど、その場その場で状況を見極めて何をするか、何ができるか、そしてどうするかの判断。やっぱりこれは頭の中のこと。だから組み手をどんどんやって経験をつんで磨く。

直感と気持ちの瞬発力、磨くのはこれ。Dscn0271

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姿勢

010 昨夜の稽古中。立禅を組んでいるとやたらとタバコ臭い。誰かが近くでタバコ吸ってるな、と思って周囲を見回す。近くのベンチにお年寄りがひとり、でもタバコなんか吸ってない。

何故だろうと思ってすぐに得心。このお年寄り、今はタバコを吸ってないけど、たぶんヘビースモーカー。体臭にタバコが染みこんでるに違いない。

禅を組んでると普段より確実に鼻が利く、或いは耳が鋭敏になる。考えてみれば当たり前で、禅を組んで身体を整えると言う事は、感覚を開く事で、つまり五感が鋭敏になるって言う事。

で、弟子にその事を踏まえて、首と頭の位置に関して注意。姿勢と言うとみんな骨格の事を思うけど、それ以上に大事なのは機能。首で言えば気管と食道、そして聴覚。五感を開く、と言うのは簡単だけど、そのためには開けるような姿勢にならないといけない。人によると顎を引いてなんていうのが居るけど、それは大間違い。顎なんか引いたら耳も鼻も利かなくなる。身体がリラックスして初めて五感が開くわけだ。だから喉がすっと開いてるようにしないといけない。

首と頭の感じは丁度ピアニストが演奏直前に鍵盤に手を触れる時の姿勢に似てる。力を抜いて感覚を開くとやや顔を上げ気味になる。これは丁度高原の清浄でさわやかな空気の中で、それを鼻から味わいながら吸い込むときの感覚にも似てる。

禅を組む時の注意点。心を伸びやかにして五感を開く。特別な事じゃなくて、みんなそれぞれがある時にはやってることなんだ。

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波ありません・・・

6月って言うのが例年波があるかどうか覚えてませんが、今年は台風も来ないし海に入る回数がとても少ない。

自転車で海を見に行くとやはり手持ち無沙汰そうなおなじみさん。

でもって、いつも自転車で通り過ぎるだけの公園で散歩。

そしたら寄り添った二本の樹を発見。

寄り添った二本が、もっと近ずこうとしてるのか、それとも逆に離れようとしてるのか・・・。

それは判りません。

020

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