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気が済んだ・・・

201477日(月)

P1010409

夜半に北緯20度を超えた台風。

日付の変わる頃には徐々にうねりが上がり始める。

明け方には60㎝超南風。

冷たい麦茶をグビッとやって出発。

サイズ腰腹で結構ガタガタ。

それでも朝の一時間半。

気が済んだ・・・。

今日は茅ヶ崎で稽古なんで、

さて、一休み。

P1010410 これから台風週間の始まりだ。

―――

about 太気拳

沢井先生は「気」の言葉を使った。

中国の伝統的な言葉に「発勁」がある。

この二つの言葉は無関係じゃないけど、

言葉の持つ意味、性質が違う。

それがすっきりしたのは、

佐藤聖二氏のブログを読んでからだ。

―――

李見宇先生の訃報を告げる書き込みで、

李先生の試声からの攻撃について印象が書かれていた。

李先生の印象は私にもある。

強烈な思い出だ。

当時は70歳を越えてた頃だと思う。

「心胆を寒からしめる」

と言うが、

本当にそんな感じだった。

その印象を言葉にすれば、

「気」という言葉が一番妥当。

此処で言う「気」は、

心理的言語って奴だ。

身体が一つに纏まった発勁、

沢井先生も、

その印象を言葉にしたんだろうね。

「気」を個別のエネルギーなんて考えるのは、

ネジが数本外れてる輩だね、

言葉に踊らされてる事にすら気付けない・・・。

―――

発勁は身体的な力学と、

その結果の神経の亢進、

精神の高揚だ。

だけど、

その印象を語るときに「気」の言葉になる。

確かに、李先生の動きに「気」を感じた。

それは確かだ。

―――

しかし、それは例えば、

力感と言われるものがある。

恐怖感と言われるものもある。

あるいは躍動感との表現もある。

エネルギーが迸る様の表現だ。

空気感と言い換えても良い。

これらも心理的言語で、

気持ちが身体を受け止めた印象だ。

言葉に無頓着な人間は、

言葉に対応する物がある。

あるいは、

物があるから言葉がある、

と、単純に考える。

そんな人は、

そんな世界を生きるんだろうが、

言葉は

一筋縄じゃいかないよね。

―――

ある言語学者がこんな事を言っている。

―――

ロゴスとしての言語は、

すでに分節化され秩序化された事物に

ラベルを貼り付けるだけのものではなく、

その正反対に

名付けることによって、

異なるものを一つのカテゴリーにとりあつめ、

世界を有意味化する

根源的な存在喚起力として捉えられていた。

・・・そうだ。

―――

存在喚起力としての「気」の言葉。

なるほど・・・。

先生!!!

でも、ちょっと疲れた・・・。

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