« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月

以下同文・・・

2017年4月30日(日)

P1010037


連日波無しで結構へこみ気味。

たった一日のチャンスを逃したので、

虎視眈々は良いけれど、

次は一体何時になるやら。

連休が始まって、

波があればあったで混雑必至。

波があって人のいないところに行きたい、

と、皆さんも同じ思い・・・。

こんな日はカヌーですかね。

P1010039


―――

About 太気拳

「意は即ち力である」とは王郷斎師の言葉。

確かにそうだが、

これを一般論として理解しても何の意味もない。

王師があんまりズバッと言うもんだから、

みんな素直に「そうなのか」なんて思っちゃう。

まあ、結果だけ言うからね~、名人は。

でも、これが凡人の誤解のもと。

問題の立て方を変えよう。

力として作用する意がある。

翻って、力として作用しない意もある。

この二つがあることをまずは明確にしないといけない。

つまり王師の言わんとする「意」と、

そうではない「意」があること。

つまり本物の「意」とそうでないもの。

―――

力としての実態を持てない意。

それは単なる想像力、思い込みに過ぎない。

なんちゃって武術家が自分は強いと思い込んで、

返り討ちに合っちゃうなんてお話はこの類。

出来ると思ったって、

出来ないものはできない。

自分は強いと思い込むのは勝手でも、

弱いものは弱い。

―――

では、力に転化する意は何か。

これは内側から滲み出てくる力感覚。

これは一つ一つを具体的に俎上にのせなければ一般論では語れない。

例えば、

揺りでの肘の力感、

あるいは指先の刺す感覚。

こう言った力感が、

具体的に活かす方法、訓練を経て力になる。

意即ち力、ではあるが、

夫々個々の力感を捉え、

尚且つ具体的な効果を実感し、

成功体験として記憶して初めて、

力感が実体としての力となり、

それら個別の力感を統合したものを「意」と称する。

一般論としての「意即力」ではない。

つまり意が即ち力になるのではなく、

力感を基にして、

具体的な稽古を通して実体化した力。

その力が再び意を導き出し、

それを見渡して初めて、

意は即ち力となる。

―――

つまり二重構造。

意が力感を引き出し、

次に力感が具体的な力を導き、

改めてその力が意を形作る。

―――

「意即ち力」を単純に鵜吞みしてはいけない。

逆に言えば「力即ち意」。

ここでは二つの力がある。

意を導きだす力と

意を生み出すことの出来ない力。

どちらを求めるかは明白だ。

―――

同じように「意即動」、

つまり「動即意」。

問題の立て方は同様。

以下同文・・・。

―――

等式が成り立つなら、

同時に不等式も導くことが出来る。

言葉は言葉にしかすぎない・・・。

| | コメント (0)

こんな日に限って・・・

2017年4月28日(金)

P1010022


寝汗・・・。

寝巻がじとっとして、

たぶんシーツも濡れてるんだろうな、

等と半分寝ぼけながら、

でも、どうせなら汗が全部出たほうがよさそうな・・・。

起きても寒気が収まらず、

朝食後に散歩に出る気も起きない。

風をひくのはほぼ10年ぶり?

先日の稽古では、くしゃみ連発。

弟子に風邪ですか、

と聞かれたんですが、

どうせ一晩寝れば、

がもっとひどくなった。

あれがひき始めのサインだった。

何時までも寝てるわけにもいかないので、

意を決して昼前に海岸散歩。

じっとりと頭が重い、

太陽がやけに眩しい。

こんな体調の日に限って、

天気は快晴でそのうえ波もある。

サイズ腿から腰たまに腹。

ダラッとした波ですが、

皆さん軽快に遊んでます。

あああ、こんな日に限って・・・。

P1010023


―――

あまり食欲が湧かないので、

昼は蕎麦にして、

その前に掟破りの缶ビール。

で、そのまま昼寝。

―――

一時間後眼が覚めると完治。

缶ビールが効いたのかな~。

良薬は口に苦し、と言うからな~。

| | コメント (0)

一週間海に入ってない・・・

2017年4月27日(木)

P1010021_2


低気圧通過!!!

今朝は鉄板予想で暗いうちに目が覚める。

ネットで調べると思ったほどでもない。

早朝は満潮につき、もう一寝入り。

引きに入ってからが勝負、

と引きに入ってから海岸偵察・・・。

あらま!ありません。

サイドの嫌な風と共にシャブシャブの波が

力なくブレイク。

ポイントを見渡せる場所では

ローカルの皆さんが鳩首会談井戸端会議。

辛うじてロングのみ。

一回り年上の先輩が、

膝波をうまいこと乗ってました。

あ~あ、もう一週間海に入ってない・・・。

―――

About 太気拳

豚の真珠の話もあるが、

同じ真珠だってものは活かしようでいくらでも変わる。

ただの真珠も指輪や装飾品に加工して初めて価値が上がる。

稽古だってそうで、

例えば後方発力は基本形で、

そこから弾かれるように前方に転換、

前方発力になる。

そこまでは大方は上手いこと進む。

ここまでは剛の発力で済む。

ところがここで満足してしまっては工夫がない。

で、そこからの一工夫加えての加工を要求。

例えば後方にぶつかった力の角度を変換する。

この時に剛の中の柔が要求される。

剛の中の柔、

あるいは柔の中の剛。

両方が相まって初めて全体が出来上がっていく。

工夫の上にさらに工夫。

―――

太気拳は装飾では無いけれど、

工夫することでより光る。

P1010020

| | コメント (0)

地に落ちる・・・

2017年4月26日(水)

P1010016


南風でざわつく海面。

波乗り、って雰囲気でもないですが、

インサイドでチョロッてな感じ。

鳶はホバリングに最適な風なのか、

のんびりと中空を漂いながら餌探し。

天気図を見ると今晩あたり久しぶりの台風マーク出現。

季節はどんどん移っていく・・・。

―――

最近は歳のせいもあるのか、

三代目と言う言葉が重い。

王郷斎師が初代で澤井先生や姚宗勲師が二代目。

その弟子の我々が三代目。

三代目が会社を潰す、

ってのはよく言われる。

初代、二代が作り上げたブランドに寄りかかった三代目。

何もできなくてもブランドがあるから商売になる。

で結局のところ遺産を食いつぶして、

ブランド名は地に落ちる・・・。

P1010017


―――

太気拳の一部の現状はこんなもんですね。

毎年二回の交流会は、

こんな危機感があるからこそです。

本当に危機感満杯です。

HPに載せた文章もこの延長です。

| | コメント (0)

浜昼顔・・・

2017年4月25日(火)

P1010013


ざわざわと南風。

ただ海面がざわつくだけで、

うねりほぼ無し。

ただ散歩には快適。

普段より少し足を延ばして、

ついでにストレッチ。

沖合にSUP、そしてディンギー。

この風でもディンギーは快走。

足元を見ると浜昼顔・・・。

P1010012


―――

About 太気拳

人の活動は神経支配の賜物である以上、

外見上の決まり切った動きも、

それがどのような神経支配のもとに行われるかで意味合いは全く異なる。

つまり神経支配の実際は外見からは窺えない。

それを無理やり言語化するとオノマトペのようになる。

澤井先生がガバッとかザッと言った言葉を使ったのは、

神経支配の転換を表現したものだ。

意拳の前身である形意拳が

動物の動きに仮託したのも、

同じくこの神経支配の転換だ。

神経支配の転換のためには時間がかかる。

新しく回路を開かなくてはならないからだ。

しかし、

いったん開かれた回路は再び閉じることはない。

同じ形同じ動きに見えても、

回路が異なれば結果は全く別のものになる。

―――

両腕の作り上げる光線は、

時に水平にあるいは三角に、

二本の平行線になることもあれば、

閉じて内外になる。

これは腕における神経支配の一つの結果。

それによって守るべき空間が明確になり、

同時に変形した空間が相手を襲う。

自在に空間をコントロールすること。

それが練りにつながり、

推手や組手になる。

―――

武術の原点は身を守ることにある。

ならばその守るべき「身」とは何を指すか。

それは即物的な肉体そのものではなく、

その延長である空間、

つまり支配空間であるべきだ。

身を守るとは肉体の延長である支配空間を守ることだ。

支配空間とはすなわち「陣地」と言い換えられる。

陣地は塀によって守られる。

その塀を形作るのが両腕が作り出す仮想「光線」エリア。

つまり、

神経支配の転換がなければ、

身を守る意味すら持ちえない。

つまり陣地、支配地域を持たない軍は存在しえない。

| | コメント (0)

たまに昔を振り返る・・・

2017年4月24日(月)

P1010008


快晴の朝。

波は無いけど気分よく稽古できる。

稽古の後に弟子たちと海岸に出てしばらく雑談。

広がる空と水平線。

木曜日の朝までは波乗りスタンバイキープ。

―――

About 太気拳

豚の真珠。

あるいは馬の耳に念仏。

ポケットに真珠を詰め込んだブタ。

念仏を諳んじるほど聞いた馬。

そんな豚、あるいは馬だったかも知れない・・・。

それがある瞬間に、

真珠の価値を知り、

念仏の有難さを悟る。

P1010007


―――

感じていて意味を知らず、

知っていて価値を知らず、

そんな時間を積み重ねて、

いつか本当のことが向こうからやってくる。

そんなもんなんですね~。

澤井先生の秘密が少し判ってきたこの頃、

たまに昔を振り返る・・・。

| | コメント (0)

ダメ押し予定・・・

2017年4月22日(土)

P1010011


稽古が終わって携帯をのぞくと着信履歴。

久しぶりに学生時代の友人から。

嫌な予感とともに連絡すると、

案の定訃報。

一昔前は結婚式で顔合わせだったのが、

最近は葬式ですね~。

お互いに他人事じゃなくなったよね・・・、

と近況報告。

P1010001


―――

About 太気拳

漫然と稽古するのではなく、

ひとつひとつの稽古の意味合いを考える。

稽古で出てくる感覚には間違いがない。

しかし、

その意味合いをどう捉えるかどうかが問題だ。

出てきた感覚をじっくりと味わうとともに、

それが太気拳の中でどんな意味合いを持つのか。

どんな広がりを持つのかの慎重な検討は、

あくまで実戦を前提として要求される事項を求める。

―――

ただ一人稽古を積み、

教えられなくても到達する者がいれば、

教えられてようやく到達する者もいる、

そして教えられても到達できない者が居るとすれば、

その違いは何処にあるのか。

それは

身体能力ではなく、

洞察力に他ならない。

―――

眼前の世界は、

内と外であれ、上下であれ、

あるいは前後であれ、

全ては明確に腕の持つ軸線によって

見事なまでに二つに切り裂かれ、

それを時に陰陽あるいは虚実と表現する。

陰陽はともに実であり、

その境界を虚と表現し、

拳術における変化と力の核としたのが王郷斎師。

虚は無ではなく通過点としてあり、

その三次元的表現が六面力であり矛盾力。

つまり禅は、

三次元座標軸XYZの原点0を求めてるってことですね~。

―――

と、今日の稽古の覚書で、

明日の基礎講座でもダメ押し予定・・・。

| | コメント (0)

多いのか少ないのか・・・

2017年4月20日(木)

P1010036_3


昨夜寝たのが遅かったので、

早起きはできないだろう、

と思ったわりには目覚めは軽快。

うねりは減衰傾向なのでまずは朝飯前に1ラウンド。

腹前後の波が来るものの、

ポイント選別に失敗したのか厚くて乗れない。

一時間半で2本のみ。

捲土重来を期して朝食後に2ラウンド目。

ポイントを変えるが、

やはり波に力が無く水が多すぎ。

ロング向きの波で今回はしょぼ波3本。

合計3時間半で5本が多いのか少ないのか・・・。

まあ、とりあえず身体を濡らせたので良しとする。

P1010008

| | コメント (0)

明日ですね、明日・・・

2017年4月19日(水)

P1010030


連日の南風。

昨日よりはましですが、

それでもちょっとね~。

明日ですね、明日・・・。

明日に期待で今日はのんびり。

のんびりと稽古だけ。
P1010035


| | コメント (0)

実力の証しか・・・

2017年4月18日(火)

P1010025


夜中に横殴りの雨音。

明るくなると、

徐々に雨と風が弱まって一息。

低気圧の連続攻撃で、

しばらくは南風強の予報。

波乗りのインターバルがこのところ随分長い。

これから暖かくなるので、

本番に向けてDVDでイメトレでもしておきますか。

―――

雨上がりの海岸。

板を持って歩くのもままならない強風。

それでも数人がトライ。

若さの無謀か、

実力の証しか・・・。

P1010021


―――

About 太気拳

言葉について考える。

何故改めて言葉か。

武術において日本語は貧しい、

そんな感想がある。

なんでもそうだが、

物事は言葉を以って初めて存在を確認される。

あるいは、

言葉によって世の中に存在を許される。

言葉になっていないものは陰に追いやられる。

―――

中国では当たり前?に使われる勁力に当たる言葉。

澤井先生は気と表現したが、

これは武術の機能の側面。

機能があると言う事は、

その機能を生み出す条件があり、

それを満たした時の感想もあるはず。

―――

収胯(股関節を収める)

肩撑肘横(両肩肘は横に張り支える)

この二つは身体の根幹となる対応する二つの核、

つまり腰・股関節と、

肩と肩関節の収まりを表現する言葉だ。

この二つの条件を満たすこと。

武術拳術の稽古ではこれを求めることが

初期の目的になる。

もちろんこれだけではないが、

この二つの条件が整わなければ勁力・気に届くことはない。

つまりこの基本を語ることができて初めて、

武術家の入口に立つことになる。

―――

こう考えると、

自分が弟子に初めに教えてることが明確な言葉になる。

収胯・肩撑肘横。

立禅での最初の注意点はこの二つの条件を満たすため。

―――

稽古の目的は拳術に特有の力、勁力を求めることにある。

特有の力を求めるには、

特有の条件を整える。

その条件の名前が収胯・肩撑肘横。

条件無くして機能無し。

スカスカの朽ち木でまともな仏像は彫れない、

と同じですね~。

| | コメント (0)

生き返ったぞ・・・

2017年4月16日(日)

P1010016


久しぶりに暗いうちに出発。

昨日の風の残り波狙い。

サイズたまに腰。

わずか数人で始まったんですが、

明るくなるとともに混雑。

気が付くとロングに囲まれて身動きできず。

気温は春ですが、

水温は真冬のまま。

今朝もノー・ブーツ。

生き返ったぞ・・・。


―――

About 太気拳

相手を打つ、あるいは攻撃を避ける、差す、払う。

打つ、避ける、差す、払う。

これらは言葉の違いに過ぎない。

打つも避けるも差すも、

そして払うもすべて同じ。

外側からの見え方の違いに過ぎない。

―――

避けて打つ、

差して打つ、

払って打つ・・・。

ではなく、

避けるは打つ、

差すは打つ、

払うは打つ・・・。

| | コメント (0)

気と気分・・・

2017年4月15日(土)

P1010015


オンショアの朝。

それでもサイズ腰くらいで、

風を避けてのサーファー数人。

暖かくなりました。P1010009_13


―――

About 太気拳

同じことをやって成果が異なるのは何故か。

稽古から何を抽出するか。

何のための稽古なのか。

―――

目的は単純ではっきりしている。

拳は勁に尽きる、

気と気分・・・。

名前をどう付けようとこれが目的だ。

目的が分かって、

教えられなくとも達する人がいれば、

教えられて到達する人もいる。

更に教えられても尚たどり着けない人もいる。

どこが異なるのか。

―――

結局のところ、

これを才能と言ってしまえば元も子もない。

しかし逆に才能とは何か。

それは多角的な視点があるのかどうか。

自分がどのような視点を持っているのか、

を分析して初めてそこから自由になれる。

もともと持っている視点に名前を付けると「独善」。

そう、独善に過ぎない。

そこを脱出して初めて気や勁が姿を見せる。

稽古の内容を様々な角度から眺め、

自分の狭い視点を押し広げること。

―――

視点の転換については、

よく魚を例に話をします。

―――

稽古をして、

教えられても尚  

たどり着けないとすれば、

それは教えられても尚

自分の殻から飛び出せないからだ。

| | コメント (0)

はるうらら・・・

2017年4月14日(金)P1010003


はるうらら・・・。

波は昨日まで。

僅かにうねりはあるものの満潮。

数人が浮かんでいるものの立って上陸。

これから潮が引くとともに南風。

今日は連れ合いとおふくろと三人で花見でも行くかな。

―――

昨日は今年になって初めてブーツを脱いだ。

ちょっと冷たいけど我慢できないほどじゃあない。

―――

実はもう歳だから波乗りも終わり近いのかな、

なんて思いが頭のどこかで浮いたり沈んだり。

テイクオフで重心が遅れ気味で失速。

毎回歯噛みしながら今度こそ・・・。

何回繰り返しても改善しない。

もう駄目なのかな~、

と失望の毎日。

ここが悪いのか、

それともこれに注意すればいいのか、

とか課題集積の毎日。

もうどうすりゃあいいんだ~、

一体全体どこが悪いんじゃ~。

師匠!早く茅ヶ崎に帰ってきてくれ~。

師匠~!
P1010002

―――

ところが、

あ~ら不思議!!!

ブーツを脱いだ昨日はテイクオフの失速ゼロ。

波が来たらパドルして、

波に押されたら立って走る。

ただそれだけ・・・。

気が付いたら何にも考えないで遊んでる。

あ~ら不思議!!!

課題なんて一つも考えずに、

気が付いたら板の上。

まあ、ブーツひとつでこの始末。

これを歳っていうのかね~。

| | コメント (0)

昨日の残り・・・

2017年4月13日(木)
P1010107


P1010110


P1010114


| | コメント (0)

気が乗らない・・・

2017年4月12日(水)

P1010102_2


交流会が終わって、

なんとなく気が抜けた・・・。

そこに冷たい雨に花冷え。

部屋は外干しできない洗濯物で満艦飾。

これから波が上がりそうな気配がありますが、

気が乗らない・・・。

―――

明けて今朝は快晴。

うねりは1メートル超、風はオフ。

気が乗りました。

早朝にも関わらずに皆さん全開。

ほぼ3週間ぶりで顔に当たる波が気分いい。

なんとなくもたついた波乗りでしたが、

やはり朝一の波乗りは最高。

一日この気分で行きたいもんです。

| | コメント (0)

分ったつもりになるな!!!」

2017年4月10日(月)

P1010099


そろそろ止むだろう止むだろう・・・、

と期待したんですが、

結局のところ一日中雨で終わった交流会と懇親会。

雨で満開の桜が散り始める中で、

太気拳協会の島田先生、鹿志村先生、

おまけに私も講習に参加で、

結構内容の濃い交流ができた、

と思います。

私は稽古の虚実について説明しましたが、

それはまた改めて・・・。

―――

印象に残ったのは、

島田先生の「分ったつもりになるな!!!」の言葉。

私も全く同じ感想がります。

一つの言葉に詰め込まれた長い時間と工夫が、

そんなに簡単に分かるわけないだろ、

と思います。

世の中にまともな拳術が消えていく中、

太気拳協会を最後の橋頭保として築き上げるのが責務です。

その気持ちで一層の厳しく取り組んでほしいと思います。

P1010097_2


―――

About 太気拳

力学がどうの、

構造がどうの、

なんて話のついでに「重心」について。

重心について語るときに忘れてはいけないものに、

重心点とそれを支える支点の問題がある。

重心点は頭頂部から腰を結んだ線にあり、

支点はもちろん身体を支える両脚にある。

もちろん接地する足裏の何処に支点があるかも大事な問題。

稽古では独立椿のように支点と重心点が重なる場合もあるが、

多くの場合は異なる。

これは身近な机を例にとれば、

重さを支える脚は四本あるが、

重心点は脚にないのと同じだ。

結論から言えば、

重心点は両足の支点を結んだ直線の中間点に必ずなければいけない。

つまり両脚の二つの支点と重心点の三つが一線上にある。

これが守られた時に初めて上下の力が現れてくる。

立禅はこれを確認する最上の稽古法だ。

重心点の変化につれて

両脚の支点も変化する。

その変化を手掛かりにして動に転換する。

練りや歩法がその変化を知る稽古になる。

様々に変化する動きの中でも、

この一点が失われてしまえば、

上下の力が失われ、

当然勁力は生まれないし、

そこからの発勁、発力もなくなる。

重心点は両足の支点を結んだ線をツルツル滑るように動く。

決して浮くことも途切れることもない。

連綿として途切れない力は、

ここに保証される。

―――

とまあ、

理屈を説明するのはいとも簡単だ。

それを理解するのも分かったつもりになるのも、

同様にたやすい。

しかし、

それを身に付けるには功を練るしかない。

拳術は学ぶものでも研究するものでもない、

とはこの事を言う。

判って出来れば苦労はない・・・。

| | コメント (0)

なるほど・・・

2017年4月7日(金)

P1010012

連日の強風。

確かにうねりは上がったものの、

波乗りには今一つ。

散歩中にウィンド・サーファーにしてショッートボーダー、

おまけにSUPにも乗るK嬢と遭遇。

何でも出来ると、

何時でも出来るよ!!

に、なるほど・・・。

でも、あんまり手を広げすぎると、

何にも出来なくなる! !。

P1010013


―――

About 太気拳

構造物に外力が加わった際、

そこに起きる応力や変形。

それを研究する構造力学。

―――

禅で大事なのは力を感じること。

その力びは方向がある。

力の方向とは、

腕に掛かってくる圧縮応力。

この圧縮応力の働きは接触の際には、

船の舳先が水を切るような三角の力に転換される。

立禅において左右の腕は対照的な形になる。

その際に両腕に三角の力が掛かれば四角になる。

圧縮応力を持つ三角形が向かい合って重なる四角。

その四角の持つ力は主応力となる。

主応力を簡単に言えば「パンタグラフ」だ。

前に延びれば、横に縮まり、

横に広がれば、後ろに引き込む。

この連続する力は、

王郷斎師の描いた連続する◇の図になっていく。

―――

有機的な構造物としての身体。

これを「整体」と意拳で表現する。

まずはこれがないと始まらない。

| | コメント (0)

実験結果がどう出るか・・・

2017年4月5日(水)

P1010008


本日も波無し。

干上がってる感満杯。

こうなるとSUPでも、

ってな気にもなる。

しばらくは春の散歩を楽しみますか。

P1010004


―――

About 太気拳

虚と実の言葉は様々に使われる。

時には、

単純に接点が有るか無いかを虚実と表現し、

時に力の衝突を実、

回避を虚とする。

川の流れが正面から岩に当たれば実であり、

そこで生まれる渦は虚となる。

虚と実は裏表。

―――

虚と実、弛と緊、矛と盾、正と反。

上と下、前と後、右と左。

矛盾力は上下前後左右の力の対立、

つまり矛盾の統一。

ここに拳術の妙がある。

―――

はてさて、

こう考えるとやたら難しい。

ところが、

武術に限らず、

全ては矛盾の対立から生まれるんじゃないだろうか。

原子すらプラスとマイナスの矛盾対立の平衡。

―――

肝心なのは自身の中の矛盾・対立に眼が向くかどうかだろう。

禅を組むと言う事は、

虚に自分を置くことだ。

虚に自身を置き続けることで、

突然、

虚の裏にある実に気付く。

あるいは実に居続けることで、

突如、

実は虚に保証されている事に目覚める。

―――

虚と実は表裏。

つまり表の延長に裏はなく、

裏からは表を窺うことはできない。

―――

拳術は演繹法ではたどれない。

何故なら、

実から始まる演繹は実から離れない。

虚から始まれば虚で終わる。

何故なら演繹とは仮説の連続でしかない。

―――

おいらは仮設なんて立てない、

ってのがニュートン。

常に虚を見つめ身を置くこと。

禅を組むとのは、

虚に自身を置くという実験・・・。

実験結果がどう出るか・・・。

| | コメント (0)

視覚ほどあてにならないものはない・・・

2017年4月3日(月)

P1010002


今日で連続波無し記録11日。

朝一組も今朝はジョギング。

「干からびちゃうね~」

の一声残して走り去る・・・。

波があってもなくても月曜の朝は稽古。

波乗りはできなくても生きてはいける。

でも、

禅を通して自分と向き合うのは人生そのもの。

太気拳と出会えてよかったな。

―――

About 太気拳

さて、

春の交流会も近いので組手について。

組手とは何か。

単純な図式を作れば、

情報の受信と処理、そしてアウトプット。

1次的な情報はまず視覚から入る。

これが殆どの場合はすべて。

だからこれが最も大事だと思ってしまう。

この行先は、

こう来たらこう返すとか、

逆に相手が反応する前に攻撃するとか、

そんな所に行きつく。

何故なら、

ここでは視覚情報が全てだからだ。

筋トレと反射神経・・・。

ま、これが普通。

―――

ここで振り返って太気拳の推手を考えてみる。

推手の大きな意味は相手と接点を持つ。

つまり推手は接点での情報の受信力、

そして処理・アウトプット能力の向上を図る稽古。

つまり普通は視覚に頼る情報を

全く異なる部位での受信、

そして処理・アウトプット能力の向上を目指してきたわけだ。

と言うことは、

組手はこの能力をどこまで生かせるかにある。

視覚にのみ頼った組手の稽古には限界がある。

それを超えようとした先人の工夫が推手であり、

それが生かされると、

必然的に拳打寸勁となる訳だ。

寸勁で守り打つ。

大事なのは、

接点での瞬間的な情報受信と処理。

―――

だから組手でいつも口を酸っぱくして言う。

お見合いをするな!

向かい合ったらすぐ間をつぶせ!

相手の隙をつくなんてケチなことを考えるな。

つまりこれです…。

―――

視覚ほどあてにならないものはない・・・。

| | コメント (0)

明確・・・

2017年4月2日(日)

P1010020_9


日の出が早くはなったものの、

これが4月の陽気か・・・。

と、文句の一つも出る寒さ。

波は全くなし。

連日こんな感じ・・・

―――

中学教育の武道教育の一環として銃剣道。

さて、

武道の定義が何なのか。

それを考えてる教育者っているんかね・・・

何を求めるのが「武」なのか。

少なくとも、

教えるほうはそれが明確じゃないとお話にならない。


―――

About 太気拳

拳打寸勁の続き。

力学的な理解、

あるいは全身の繋がりについて。

人の身体の構造は、

回転する関節ギアと骨格に寄り添った筋チェーンの集積。

関節ギアの働きは円であり、

筋チェーンは骨格に寄り添う方だ。

それら全てが緩みなくつながり、

円と方が織りなす梃子の力学。

これは身体内で動的な変化を含み、

時にクランク、あるいは関節が滑車の力学を展開する。

滑車の働きは二つある。

定滑車と動滑車。

定歩での揺りを考えると、

足首と膝のギア、滑車は定滑車として機能し、

腰、肩は動滑車として梃子の力を得る。

それに対して歩法では、

定と動は逆転する。

常に定と動が入れ子になり転換し続ける。

拳術の妙。

太気拳の求めるべきの一つは明確・・・。

| | コメント (0)

座ろうとして座れず・・・

2017年4月1日(土)

冬に逆戻りの感。

冷たい雨が降って、

散歩に出る気も失せてのんびりとお茶。

これではお花見客も人出小。

まあ、公園で稽古する身としては、

人は少ないほうがいい。

しかし、

もう10日も海に入ってない。

これは記録的だ。


―――

About 太気拳

「拳打寸勁」が拳術だとすれば、

拳を語るということは、

即ち「拳打寸勁」を語ることに尽きる。

だから、

これを語ることが出来なければ拳術家とは言えない。

―――

では、「拳打寸勁」の源になる渾元力は何か。

人の身体は、

例えてみれば、

骨格に沿う筋肉を単なる伸縮ではなく、

陰陽に往還するチェーンとし、

関節をギアにした部分の集積である力学的な存在だ。

自転車の構造を考えれば明快だ。

その往還する筋肉のチェーンと関節のギア、

それらに緩みの無い張力を与えるのが立禅だ。

そしてその有機的な組み合わせを

合目的に仕上げるのが拳術。

静に動を感じるとは、

ギアを繋ぐチェーンの緩みを無くした状態であり、

動に静を感じるのは、

静と同じチェーンの張りを維持し続ける動。


上下前後左右の六面力は、

全てのギアとそれらを結ぶチェーンに遊びの無い状態が、

上下の引力に抵抗する力を中心にまとめたもので、

ひとたび部分が動けば、

寸時にギアとチェーンを介して全体に波及する。

これが実現された時に、

拳打寸勁が現れる。

本来のトルクは寸も必要としないが、

目的の応じた衝撃力を得るための寸に過ぎない。

常に正反対に働く往還する力を矛盾力と呼び、

その統一とは、

チェーンの張力を意味する。

―――

行こうとして行けず、

戻ろうとして戻れず、

立とうとして立てず、

座ろうとして座れず・・・。

身体全体に抵抗を見出すとは、

即ち遊びの無い、

張力に満ちた筋チェーンの状態だ。

| | コメント (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »