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2020年1月

心の問題になる・・・

2020124日(金)

 

About太気拳

拳の目的を明確にする。

目的というより定義だ。

拳を何のために学ぶのか、

学ぶ前に拳を定義しなくてはならない。

―――

人は生まれ生活する中で、

それぞれが独自の運動形式を自得する。

100人いれば100通りの形式がある。

ひとつとして同じものはない。

拳の定義とは、

各自が独自にものにした運動、力の形式を

新たな力を持つ普遍的な拳の形式に転換する。

つまり運動形式の転換が拳の定義で、

つまり「拳の形式」が明確にあるという事だ。

その形式の転換のない拳は意味を持てず、

単なる運動に過ぎない。

拳の形式に依る力が勁力。

そしてさらに要求されるのは、

澤井先生の言われた気。

それは転換された形式の更なる制御・展開・洗練の結果だ。

だからまず拳の形式を求めなければならない。

―――

多くの修行者の問題は、

自分自身が個人的に作り上げた形式に対する無頓着さ、

あるいは形式それ自体を持っていることにすら気付けないこと。

精々がフォームややり方に終始するに過ぎない。

また指導する人間がその形式に気付きさえしていない。

―――

人は生まれ育ち、独自の感性を作り上げる。

感性は各自の身体に応じた運動形式を生み出し、

同時に思考形式を組み上げる。

その既得形式を転換するには、

感性それ自身を俎上に挙げるしかない。

結果として拳の定義は感性に行きつく。

拳は身体・運動から感性つまり心の働きに迫る。

最終的には心の問題になる・・・。

そこに王郷斎師が着目し、

「意」の一文字に思いを込めたのだろう。

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渋い・・・

2020年1月21日(火)
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久しぶりに早起きして、海岸までジョギング。
辛うじて日の出に間に合って、
赤らんでくる空を眺める。
今日で三日目のジョギングで、
ようやく体が慣れて楽になってきた。
いつまで続くか判りませんが、
今年のチャレンジですね。
波は相変わらず渋い・・・。
―――
About 太気拳
石組みのアーチ型の橋。
最後に頂点に組み込むのが要石。
いわゆるキーストーン。
石の重量自体がアーチの強度を引き出す。
―――
腰の収まり具合を説明していると、
弟子が太極拳の言い伝えを教えてくれる。
そうか、太極拳ではそんな風に伝えるのか、
と感心する。
時を超えて先人の気持ちに触れるのがこんな時。
例えば騎馬立ちなんてネーミングを聞いても、
先人の名前に込めた思いを感じる。
樹を抱くようにだって、
はじめは判らなかったが、
ある時から先人の言葉に込めた思いを共有するようになる。
先人の苦労の上に拳がある。
教え方や習得法に違いはあるものの、
本当のものはひとつなんだろう。

 

 

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手は軽やかに・・・

2020年1月19日(日)
About 太気拳
今日の稽古の整理。
腰を割る。
腰を割るとどうなるか。
腰と上半身を横から支えるようになる。
脚の上に腰があるのではなく、
腰を脚が横から支えるのが「腰を割る」意味。
腰が割れて初めて「肚」が生きる。
「肚」はこの場合横隔膜を意味し、
この働きを澤井先生は「呼吸の弾力」と言っていた。
そしてこれを意拳では「試声」と呼ぶ。
真っすぐに立ち、
腰を締め、割り、
肚を作り、
呼吸の弾力がすべての動きの源になる。
―――
肚が動き、
腰が動き、
脚を運び、
腕が従う。
―――
頭が率い、
腰が締まり、
脚は柔軟で、
手は軽やかに・・・。

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一人もいませんね~

2020年1月17日(金)
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久しぶりに海岸散歩。
年明けから体調を崩し気味だったのがようやく回復傾向。
天気は下り坂で、
どんよりした雲に空は覆われて、
いかにも冬の海。
海には一人もいませんね~。
―――
About 太気拳
形と質。
形を捨てて拳を意に求める。
形と質を別の言葉に言い換えると問題がすっきりする。
形とは具象、
そして質とは抽象。
つまり具象と抽象の違いだ。
形になったものが具象。
例えば人を殴る。
これが具象。
何故或いは如何に、が抽象。
例えれば怒り、が抽象。
だから怒りが原因で殴るが結果。
怒りがあって手を出す。
怒りに任せて思いっきり手を出す。
もしそこに恐れがあるなら、
行為も異なったものになる。
つまり恐る恐る手を出す。
同じ「殴る」という具象化された事実・行為の質が変わる。
抽象の具象化が人の行為。
だから裁判は事件つまり行為という具象を抽象化して結論を出す。
抽象化しないと行為の質が掴めないからだ。
何故こんなことをしたんだ、
とするのが取り調べ。
―――
抽象とは心の動き。
具象とは身体の動き。
心の動きが身体運動を生み出す。

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もどかしい・・・。

2020年1月16日(木)
About 太気拳
一つの稽古に複数の目的がある。
立禅は六面力はもとより、
足指から手先に至るまで細かい要求事項がある。
各要求は稽古する人間のレベルによって異なる。
例えば手指の方向にしても向かい合うか、
或いは対象を指すかの違いはレベル次第だ。
手指が対象に向かうときに大事なのは、
力の方向を明らかにするのは当然だが、
もう一つ大事なことに気付かなくてはならない。
それは照準を作り出す、ということだ。
銃に照星があるように、
拳に於いても照準は非常に大事だ。
上下前後左右の変化と簡単に言うが、
そこには基準が無くてはならない。
ただ闇雲に動き回るのではなく、
基準点を作り出し、
そこからどう動くのか、
が結果として変化につながる。
視覚的照準と身体的照準の一致。
それが変化のための第一条件。
それを禅に求める。
基準となるX軸Y軸そして0点が無ければ、
プラスもマイナスも存在しえない。
こんなことは考えなくても誰でも判りそうだが、
どうもそうではないようでもどかしい・・・。

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稽古を繰り返してもね・・・

2020年1月7日(火)
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久しぶりに日の出を拝もうか、
と暗いうちに起きだして、
懐中電灯を片手に海岸まで歩いて15分。
しかし、東の空には厚い雲。
残念ながら今朝は日の出は拝めませんでした。
それでも朝の空気はすがすがしい。
海を眺めながらしばらく禅を組む。
あまりのんびりしてると朝食の遅れるので、
早々に引き上げ。
残りはまた後で・・・。
―――
About 太気拳
いろいろな技があり、それぞれに形がある。
その形を繰り返すのが通常の稽古だが、
だがさて、いつになったら使えるようになるんだろう・・・。
こう来たらこうするなんて形は簡単ですが、
こう来た時にこうできるかどうかは判らない。
判らないけど、それしかないから繰り返す。
疑問を持ちながらも続けて、
行きつく先が筋トレだったりする。
―――
攻守を決めた稽古ではうまくいく。
どころが自由組手ではうまくいかない。
理由は簡単です。
準備ができているかどうか。
こう来ると判っているから、
気持ちも身体も準備して応じることができる。
ところが、自由組手では何が来るか判らないから準備ができない。
だからうまくいかない。
じゃあどうすればいいか。
答えは簡単で、準備していないから応じられないのなら、
準備しておけばいい。
答えは単純です。
―――
その準備を「六面力」と言います。
言い換えれば「腰の締まり」。
上下前後左右に準備ができている状態を「六面力」。
つまり「腰の締まり」。
これが無いところでは、
どんなに稽古を繰り返してもね・・・。

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実に締まりがない・・・

2020年1月6日(月)
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三が日明けから連日のウォーキング。
昨日は夕日も見たくて夕方に海岸。
伊豆半島に沈む夕日。
大回りして家に帰って風呂。
正月の飲み疲れから回復。
体調がようやく戻ってきた。
飲みすぎからの回復が遅れる歳に。
晩酌も少し控えめ・・・。
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―――
街を歩いているといろんな顔立ちの人がいる。
醤油顔やソース顔、長いの丸いの様々。
顔立ちともう一つあるのは、
締まった顔と締まりのない顔。
何が違って締まった顔と,
締まりのない顔に成るのか・・・。
そして本人はどう思ってるのか。
―――
About 太気拳
初稽古の課題は「腰」。
「腰を締める」は不思議な言葉だ。
もともと腰ってなんだか判るような判らないような言葉。
「腰」ってのは位置的には臍の下あたりから脚の付け根あたりまで。
この位置的な意味は「顔」と同じ。
「顔」ってのは首の上に乗っかってる頭の前面。
「締まった腰」は「締まった顔」。
鏡で自分の顔を見ても、
それが締まりがあるかないかを見る場合は殆どない。
顔の造作は気になっても、締まりの有無に気付かない。
締まりのない顔をしてる人間は、
だいたい顔に締まりがあるの無いのか、
それすら自覚できない。
自分のそれに気付けない。
締まりのないのが当たり前だから・・・。
逆に締まりのある顔でも、
毎日自分の顔を見て締まりの有無を気にかけない。
少なくとも本人にとっては、
有っても気にかけず、無くても気にならない
(周りから見てどうかは別にして・・・)。
―――
同じく腰に締まりのない人間は、
もちろんそれに気付けない。
締まりのないのが当たり前だから・・・。
腰を使う、なんて言われても、
同じようにどうして良いか判らない。
つまり意味不明。
腰を生かせって言われて判ったような判らないような・・・。
自分の腰が締まっているのかそうでないのか自覚できない。
だから、
普段自分は弟子にこんな言い方は殆どしない。
しかし、
大雑把な言い方をすれば、
ここに拳の核があるのは事実だ、
つまり基本となる「六面力」とは「腰を締める」ことに他ならない。
―――
腰が締まって、
背が締まり首が締まり、
肩が整い腕が締まり、
手指が整う。
腰が締まって、
膝が締まり足首が締まり、
足指が力強く地を掴む。
そして六面に力がある状態が出来上がる。
―――
腰が締まれば拳の基礎が出来上がるが、
「腰を締める」はアバウトすぎる言葉。
だから指導は足指から、
あるいは手指から始める。
つまり先端から中心に至る。
―――
立禅の大きな目的「腰を締める」。
力の大小も速度、変化もこれによる。
―――
なんてこと言いながら、
若い頃の写真を見ると、
実に締まりがない・・・。

 

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何をしようか・・・

2020年1月4日(土)
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元旦二日と飲み続け、
さすがに昨日は静かに過ごして体力回復。
朝食後に海岸に向かう。
砂浜では高校生が練習初めの柔軟体操。
終わるとやおら走り始める。
吐く息に勢いがありますね。
こちらはせいぜいが速歩。
上下の力を意識して腰で脚を前に押し出す。
これで結構汗が滲む。
大回りして家に帰って8000歩。
帰り着いて、
駅伝も高校サッカーもないのでやることがない。
こんな時には庭で発力の稽古をまずは500×6セット3000回。
それも終わって後は昼食。
さて、午後は何をしようか・・・。

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