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心の問題になる・・・

2020124日(金)

 

About太気拳

拳の目的を明確にする。

目的というより定義だ。

拳を何のために学ぶのか、

学ぶ前に拳を定義しなくてはならない。

―――

人は生まれ生活する中で、

それぞれが独自の運動形式を自得する。

100人いれば100通りの形式がある。

ひとつとして同じものはない。

拳の定義とは、

各自が独自にものにした運動、力の形式を

新たな力を持つ普遍的な拳の形式に転換する。

つまり運動形式の転換が拳の定義で、

つまり「拳の形式」が明確にあるという事だ。

その形式の転換のない拳は意味を持てず、

単なる運動に過ぎない。

拳の形式に依る力が勁力。

そしてさらに要求されるのは、

澤井先生の言われた気。

それは転換された形式の更なる制御・展開・洗練の結果だ。

だからまず拳の形式を求めなければならない。

―――

多くの修行者の問題は、

自分自身が個人的に作り上げた形式に対する無頓着さ、

あるいは形式それ自体を持っていることにすら気付けないこと。

精々がフォームややり方に終始するに過ぎない。

また指導する人間がその形式に気付きさえしていない。

―――

人は生まれ育ち、独自の感性を作り上げる。

感性は各自の身体に応じた運動形式を生み出し、

同時に思考形式を組み上げる。

その既得形式を転換するには、

感性それ自身を俎上に挙げるしかない。

結果として拳の定義は感性に行きつく。

拳は身体・運動から感性つまり心の働きに迫る。

最終的には心の問題になる・・・。

そこに王郷斎師が着目し、

「意」の一文字に思いを込めたのだろう。

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