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2020年3月

在り様が問われる・・・

2020326日(木)

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好天の朝。

歩いていると暑さを感じる季節です。

海岸では子供たちがのびのびと遊んでますね。

散歩から帰ってシャワー。

良い季節ですがコロナ感染騒ぎで、

何となく浮足立つ雰囲気で落ち着かない。

で、決めたのがDIY.

ここのところ気になっているリビングのフローリングの傷。

どうせならフロアタイルを張ろうと連れ合いに相談。

グッと明るくしよう、

との娘の意見も入れて品番決めて・・・。

っと、その前に床の傷を補修が必要。

平塚まで足を運んで材料を買い込む。

家具を移動したり考えると結構な仕事。

さて、施工日は何時にしますかね。

果たして娘と連れ合いは手伝ってくれるんでしょうか。

―――

About 太気拳

発勁・発力と言う。

これを聞くと技術だと思う。

前方であれ後方であれ、

力の発揮には方向が伴う。

稽古では発力動作を学ぶ。

前方にはこの様に、

後方にはこの様に、と。

しかし、これは結果に過ぎない。

発勁・発力はある一定の形式から生み出されるものだ。

その形式・状態の維持があって、

その発動がある。

相手と向かい合った時には既に発勁・発力している。

ただ発動していないだけだ。

発勁・発力に於ける状態・形式の保持が命題。

―――

回転する独楽に触れれば弾ける。

弾く準備をして弾くのではなく、

触れたから弾けるだけのことに過ぎない。

回り続けるという独楽の存在形式。

その形式が生み出す力。

―――

独楽の意味は「内圧」。

存在それ自身に力がある。

それが外部に反応する。

内圧が外圧に対して反応する。

それが発勁・発力だ。

だから外圧が無ければ静かなものだ。

回る独楽の静謐、

それが立禅。

―――

問題は技術ではありません。

その人間の在り様が問われる・・・。

当たり前です。

行動は存在形式から生み出されるのですから。

そして存在形式は思考形式に導かれる。

つまり人そのもの・・・。

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頭を・・・

2020318日(水)

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日の出を拝もうと思って海岸に行ったのですが、

残念ながら曇り空。

微かに薄い雲の向こうに垣間見えるだけ。

朝食前の散歩で、

腹ペコ。

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―――

About 太気拳

立禅は定歩、

つまり脚を動かさない。

止まっているから当たり前だ。

動かないという事は脚を動かさないという事だ。

定歩に対して活歩。

活歩とは脚を動かす事。

定歩と活歩。

この違いは何か。

定歩で培った力を活歩で生かす。

これは単なる梃の支点の転換に過ぎない。

だから定歩も活歩も同じもの。

―――

立禅は定歩で力を蓄える。

いくら蓄えても、

どうすれば解放・表現、

つまり発勁できるかが判らない。

つまり活歩に転換できない。

これでは意味がない。

―――

ここで殆どが挫折する。

蓄えている事に気付かず、

解放に眼が向かず、

ただ立ちすくむだけの禅になる。

頭を使いなさい、頭を・・・。

―――

今日は基礎講座なので、

まずは頭の切り換えを一番に。

定歩から活歩への転換は、

頭の切り替えでもある。

歩法での発勁は、

日常の歩行とは全く異なる原理なので、

そこを理解するところから始める。

発想の転換・・・。

頭を使って身体を使う、ですね。

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気付けるかどうか・・・

2020321日(土)

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稽古から帰ってのんびり海岸散歩。

強い南西の風にウインドの皆さんは元気いっぱい。

もちろんサーファーも数人が入ってますが、

なかなか波を捕まえられないようです。

今日の波は修行波ですね。

野球場まで足を延ばすと八分咲の桜。

春ですね・・・。

W

―――

About 太気拳

人間の体は近位部が遠位部を動かしていく構造になっている。

と言うのは、普通の動きを観察して導き出した仮説。

普通の人が普通の場合にそうなるというに過ぎない。

にも拘わらず、この仮説を当たり前のように受け入れる。

まあ良いやな~、普通なら。

しかし、

武術ではそうはいかない。

立禅に於いて見出す動き、

或いは練りで引き出される動きは全く異なる。

つまり、武術では遠位部が近位部、つまり中心を動かしていく。

ここに気付けるかどうか・・・。

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歩法も発勁・・・

2020319日(木)

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今日は一日のんびり過ごす。

ここのところちょっとオーバーペースで、

疲れが溜まりっぱなしなのでオフを決め込む。

陽気は完全に春。

午後になると南風が吹き始めてウィンドの皆さんがチラホラ。

波乗りはまだ難しそうですね。

―――

About 太気拳

昨夜の稽古では、

歩法から始めて結局は定歩の発勁、

そして一歩踏み込んでの発勁に繋げました。

歩法と発勁は形こそ違え、

質的には全く同じで、

股関節と膝関節の作り出す回転運動の中心及び梃の支点の変化だけです。

これは前進と後退と言う正反対の運動が、

実は支点の違いに過ぎないのと同じです。

ですから前方発勁も後方発勁も全く同じ原理です。

後方発勁が出来るのに、

前方が上手くいかないのは、

自分がやっている、

或いは出来ていることを正確に把握出来ていないという事です。

―――

同じエンジンの回転で、

ギアを入れ替えれば前進もバックもするのと同じ理屈です。

要はエンジンに点火できるかどうかだけのこと。

そして、

発勁にしても歩法にしても、

どちらにも共通する注意事項は、

前足の膝と爪先・踵の位置関係とその変化。

これは立禅から学ぶものですが、

ようやくこれに関しても、

教え方が見つかった感じです。

これは今回の基礎講座のテーマにします。

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成果は・・・

2020316日(火)

Sha

About 太気拳

六面力が基本というのは、

嫌になるくらい言っています。

これが無いとお話にならないからです。

これを分析すると、

六面の上下前後左右は、

上下の垂直と水平方向の力に分ける事が出来ます。

ここで最も重要なのは「上下」つまり垂直方向の力。

実はこれが無くては、水平方向の力は有り得ない。

上下の力からの発展で「前後左右」の水平方向の力が生まれる。

つまりまず要求されるのは垂直方向の「上下の力」の発見。

もちろんこれは単なる位置エネルギーではなく身体内部の上下運動を含み、

これを横方向に変換する。

人間の運動は骨格構造と関節に支配され、

しばしば合理的な運動形式は人の作り出した器械に似てくる。

―――

上下の力は垂直直線方向の力を意味し、

ちょうどレシプロエンジンのシリンダー内のピストンの直線運動に似、

それがクランクシャフトの回転運動、つまり水平方向運動に変換される。

―――

これが無ければ、

10年やっても20年やっても成果は・・・。

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神不在の祠・・・

2020314日(土)

Huji

稽古後に公園でおにぎりを頬張りながらよもやま話。

一人はもう稽古歴が20数年。

自分が40代の頃の弟子なので、

随分古い付き合い。

澤井先生との出会いが自分の人生を変えたように、

彼も太気拳との出会いで変わったものがある。

つくづく責任は重い。

About 太気拳

発勁の基本は歩法だ。

歩法の基本は半禅で、

半禅の基本は立禅。

―――

発勁は動だ。

その動は歩法に由来し、

歩法は半禅に源を持ち、

半禅は立禅からの変化。

―――

動は静に由来する。

―――

形は正しく守らなくてはならない。

何故なら正しい形に依って初めて得られる「もの」があるからだ。

形に依って得られる「もの」。

そして、

次は得られた「もの」に依って形を生み出す。

形は「もの」を得るための「依り代」に過ぎない。

しかし、「依り代」が正しくなければ、

「もの」に辿り着けない。

だから正しい形に拘る。

しかし、

あくまで形は「依り代」だ。

形式に拘るが、

その奴隷にならない。

「もの」を得られずに形に拘るのは、

単なる偶像の崇拝に過ぎない。

例えれば、信仰のない礼拝・・・。

神不在の祠・・・。

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岐れ路れ・・・

2020311日(水)

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久しぶりに連日の波。

行きかう皆さんはポイント選びの真っ最中。

こちらはひたすら鍛錬・・・。

―――

About 太気拳

立禅がある。

這いがあって、揺りがある。

練りがあって推手や組手がある。

全ての稽古は皆同じ方向を向いている。

全てはたった一つを見つけ出す為のものだ。

形は違う。

立禅の型があり、

這いの型があり、

揺りや練りの型がある。

型は異なるが、

全てに共通するものがある。

形・型を超えてその奥に在るもの。

それを見ようとするか、

それとも形を形と捉えるか。

そこが岐れ路・・・。

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路頭に迷う・・・

202038日(日)

梅の木が気になって、

雨の庭に出る。

昨年植えた梅の木がもう枯れたか・・・、

と思っていたのが息を吹き返した。

と言っても、ようやく緑の枝が出てきたにすぎない。

それでも冬を越して枝を張る梅が健気。

この枝に花が付くのを見てみたい。

この健気さとしぶとさが手本。

About 太気拳

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稽古には形がある。

しかし形に囚われない。

形の奴隷にならない。

形は大事だが囚われない。

深いところにある本質が、

たまさか表面に現れたのが形で、

言ってみれば「露頭」のようなものだ。

深いところにある地層が何かの拍子に表層に現れたのが「露頭」。

露頭は単なる二次元に過ぎない。

表層に過ぎないものに囚われると、

次元の異なる深層が見えてこない。

―――

揺りを例にとって今日は説明しましたが、

動作の中に現れる上下前後の動きと腕の連携は、

定歩であるという前提でのみ現れるもので、

活歩になれば全く異なるものになり、

上下前後の連携は全く異なる。

水平方向の力は、

定歩に於いては上下に向かう。

何故なら定歩に於いては水平方向に力の逃げ場がないからにすぎない。

深層にある本質は、浮かび上がった時にはまるで異なる見え方をする。

「露頭」の下に何が隠れているのか。

それを見出せなければ「路頭」に迷う。

そんな稽古者が実に多い・・・。

 

―――

立禅の力は何処にある。

それがどのように変化して生まれ変わるのか。

屹立する上下と広がる水平。

それらが生み出す豊穣。

全てのもとは立禅の静に存する。

 

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自分に慣れ親しむ・・・

202034日(水)

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海岸で空を見上げると、

鳶が掠めるように飛び去る。

これがなかなか写真に納まらない。

のんびりしてるようで、

餌探しも大変ですね。

―――

About 太気拳

最近は歩法に重点を置いていますが、

稽古の目的を限定しないことが大事で。

つまり、

歩法だから移動の稽古という事だけではない。

稽古で一番大事なことは、

今まで気づいていなかった自分の能力・力量、

それを明らかにすることと、

その新しい自分に慣れ親しむこと///

つまり、

歩法の稽古と言っても、

実は歩法という形を借り、

六面力を身体に馴染ませるのが一番大事、

という事です。

特に六面力のうち、

水平方向に向かう力を明確にすること、

これが一番大事なことです。

発力はこの瞬間的な突出です。

これに関しては、

そのうちに映像にしてアップしますので、

参考にしてください。

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灰汁を捨てる・・・

2020229日(土)

 

About 太気拳

立禅をどうとらえるか。

端的に立禅を定義すれば状態の認識把握活動。

状態とは変化するもののある時の様子、

ってな説明になるそうだ。

動的変化するもののある時間を切り取った静的有り様が立禅。

つまり立禅が動の基本という事は、

その状態が動に於いても変化しない、という事。

ではどんな状態の認識を要求されるのか。

重要なのは、

常に二本の脚の間に重心点があること。

言葉にすればこんなに簡単だ。

この至極単純明快簡単な状態。

これが歩になれば、

片足にきっちりと重心が乗ること。

例えば、

スケートで要求される状態と同じ。

そう、この誰でも判る単純明快な事実が拳の基本であり、

動の源であり、

勁力もこの原則から生まれる。

この原則を守って歩法にすると摺り足になる。

よく稽古でスケートを例に挙げるのはこのせいだ。

スケートだって、

ブレードが無ければ摺り足。

摺り足なんてスケート場に行けば、

子供もやってる。

つまり、

子供でもできることをスケート靴を脱いでやれ、

ってことに過ぎない。

―――

この単純明快簡単な状態を

動に移行することの困難さ。

そして奥深さ。

日常に染み付いた灰汁を捨てる・・・。

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