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成れの果て・・・

2021年9月2日(木)

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朝から雨。

窓からひんやりした風と雨音。

さすがに9月は秋の気配が忍び込む。

庭で軽く身体を動かすが、汗をかくこともない。

次に海に入る時はウエットにも袖が必要、そんな季節。

波は膝サイズ、スクール日和。

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―――

About 太気拳

人の当たり前と動物の当たり前の違い。

人の当たり前は手脚を別々に使えること。

動物の当たり前は手脚(前脚後ろ足)の動きが連携していること。

太気拳の練りや意拳の試力は手脚の連携を作り上げることだ。

動物は手脚が連携しないと歩くことすらできない。

手脚の連携は、頭を含めた体幹を通じて繋がれる。

人が手脚を別々に使えるのは、

手と脚を体幹との連携させない、

つまり切り離すことを学ぶからだ。

連携を捨てることで前脚が手になり独立を得たわけだ。

―――

一般に武術も含めて運動は、

その捨て去った連携を取り戻す作業ともいえる。

形意拳のように動物の動きに拳法を仮託するのは、

スポーツ選手の動きを動物に例えたりするのと同じで、

失われた四肢の連携記憶がそうさせるんだろうね。

何のことはない、ヒトは特別偉い訳でも何でもない、

鳥や獣たちの成れの果て・・・。

―――

そう考えて弟子に動物を例にして練りを教えると、

あっと言う間に様になる。

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