心と体

温泉気分

101日(木)

5時半起床。

前線通過で波は、と思ったらダメ。

うねりは30㎝台、ぎゃふん。

と言う事で、のんびりカテキン摂取。

ぶらぶら海岸散歩。

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いつものポイントに数人入ってましたが、手持ち無沙汰。

波無いですもんね~。

―――

about 太気拳

お気に入りの立禅ポイントで禅。

禅を組むと気分が変わっていくんだけど、

どう変わっていくんだろうそう思ってやってみる。

禅を組んで腕を挙げた瞬間に首がすっとして、

それだけで気分がのびのびする。

肩が落ちて首が整う。

当たり前で、首に神経が集中してる。

そこが整うって言う事で気分が一瞬に変わる。

鼻が詰まってるときなんかは、ここで鼻が通る。

次はどうかと探ると、腹。

腰を少し落としてると、

下腹が温かくなってきてゆったりしてくる。

温泉気分。

今朝は一分くらいでなってきた。

もうここら辺になると、探るなんてどうでもよくなって来る。

手や足の指に神経が行き渡ってくると、

まあ、ぼっとしてきていい感じ。

満たされた幸福感、て奴かな。

この世界、風景に漂うって感じ。

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探るなんてことは忘れて、この気分をなくさないようにして探手。

今朝は寒かったんで、Gパンにトレーナー。

終わる頃はTシャツでちょうど良いくらいに身体が温まりました。

気分のいい一日の始まりです。

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手が大事

811日(火)

4時起床。

これが一回目の起床。

台風接近、ということで雨模様。

で、二度寝。

57分起床。

これはちょっと驚き。

市の防災放送が

「大地震です、大地震です!」と連呼。

言われなくたって、飛び起きました。

横揺れ、ガタガタ、ガタガタ。

家族全員が飛び起きました。

と言いたいんですが、

一番下の娘はぐっすり。

長男が「こいつ神経無いんじゃね―の」。

いやいや、無いんじゃなくて、

使われ方が違うんです。

NHKの放送で、

地震と台風情報を仕入れる。

6時頃朝食。

雨が結構降っていました。

で、庭の芙蓉が咲いてるのに気が付いたので一枚。

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波はうねり1.9メートル。

風も北に変わったところで出陣。

セットでダブルくらい。

巻かれるとグリングリンで溺れそう。

本数は取れなかったけど、

乗れたのはとっても良かった。

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About 太気拳

肝心なのは、手が自由に動くかどうか。

手なんか自由に動かせます。

きっと皆そう言う。

ところが、です。

武術にしても格闘技にしても、

手を自由に動かせているのはほとんど見ない。

何故だろう。

って、それは当たり前。

手を自由に動かせなくするのが

武術や格闘技の練習。

こう構えてこう避ける、とかこう打つ。

これが練習の実体。

手の動きを規格化する。

ところが手はどういうところで一番活躍するのか。

と言うと、それは自分のバランスを取るとき。

手が不自由だと、バランスが悪くなる。

だから動けなくなる。

上半身だけの動きになる。

身体全体が動かなくなる。

すばしっこく、力強く動くには手の助けが必要。

それがなくなると、動けなくなる。

ボブ・サップやキッドが稽古して弱くなった言うけど、

そう言うことだよね、きっと。

習う前は自由に動いてたのが、

習ったお陰で普通にしか動けなくなる。

決まりきった稽古は弱い人を少し強くする。

でも、そうじゃない人を弱くする。

こういうこと、皆考えないのかね。

僕はそんな事ばっかり考えてるけどね・・・。

太気拳の稽古って、何のことは無い。

手と脚が自由に動いて、って事ばっかり。

結局、これが一番大事なんだと思うけどな~。

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うねり、うねる・・・。

8月4日(火)

4時半起床。

昨夜は帰りに渋滞に巻きこまれ、帰宅は9時。

疲労が限界って言う感じ。

で、ビールを一杯飲んで10時就寝。

まあまあ、すっきりの目覚め。

今日あたりから日本の南海上にある熱帯低気圧と太平洋高気圧の吹き出しによるうねり

が届くはず。

と言う事で偵察。

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風は北風、

雲がゆっくり南に動いていきます。

風力は67メートルって言う感じ。

まだ小さいものの、

かすかにうねりが筋を描きはじめてます。

太平洋の遥か1000キロもかなたのパワーが、

湘南に届き始めてる気配のあるうねり。

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昨日の帰り、食事中の先輩の一言。

「からだがやわらかくなってきましたね」。

「え、ホンとですか」と目じりの下がる僕。

そうなんです、

実を言うとちょっと気づいた所があったんです。

サーフィンでボードは体重移動と脚で動かします。

なんたって立ってるんですから・・・。

で、たまに撮ってもらう僕の写真が何とも動きがない。

姿勢も正直言ってへっぴり腰。

早く言えばへたくそなんです。

そんな事は重々承知。

では、その動きのない、

というのは何故か。

それはボードを脚でしか動かしていないから、

そういう結論。

じゃあ、脚じゃなくてどこで動かせばいいのか。

見えるところで言えば、手で動かすんだ。

そういうことがちょっと判ってきた。

例えば、サンドバッグを蹴る。

その時、手と身体を大きくねじって蹴る。

その方が力強く蹴れる。

それと同じ。

実際に組み手の時は、

あまりモーションが大きいのは問題。

でもサーフィンは相手が海だから、

それは問題にならない。

と言う事は、

腹と腰の力で手を大きく振ることで、

身体全体の力でボードを操れる。

それが見た目にも動きのあるものになる、

っていう事だし、

ライディング自体に流れを作る事が出来る。

うねるように動くっていう事が大事。

まあ、そういうことにちょっと気が付いたんで、

それを言ってくれてるんじゃないか、

と一人合点。

「と言っても、コンクリートから発泡スチロールくらいの変化かな」

とは、先輩の厳しい一言オマケつき。

うねるように動く、

なんて太気拳では当たり前のはず。

だから弟子には訳知り顔で言ってるんです。

でも、ボードに乗るとそうはいきません。

言ってる事と、やってる事が違ってきます。

弟子には見せられないライディング。

サーフィンが僕の太気拳レベルになる日は来るのかな・・・。

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気と気分

726日(日)-2

無念!

娘のチームは3位決定戦に惜敗。

県大会出場ならず。

結果は連れ合いからのメールで。

帰ってどんな顔をしてるかと心配。

しかし、意外とさっぱりとしてるので安心。

これから打ち上げに行くからお小遣い・・・。

これで部活引退、こんな時が僕にもあったんだよな・・・。

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About 太気拳

組み手をやる際のアドバイス。

人に言うだけじゃなくて、自分でも注意してる事。

生き生きとした気持ちで組み手をやる事。

こうやってやろうとか、ああしてやろうなんて考えない。

一頃、組み手の時に教えるっていうことに拘って、

自分の組み手が出来なかった。

みんなの参考になる組み手って考えたからだ。

でもそれは間違い。

組み手で大事なのは気持ち。

拘りなく、自由に動く、これが一番。

その反省から出てきた結論だ。

拘らない気持ちで、って言うのは簡単。

だけど、じゃあ、どんな感じでやればいいのか。

無我の境地、なんて言葉遊びは役に立たない。

根性なんていえばますます身体がこわばる。

だから踊るような気持ち。

生き生きとした気分。

そんな気持ちの稽古を組み手でやる。

組み手を始めて間もないものは別にして、

特に上級者はそうじゃなくちゃいけない。

身体が動くのは気持ちが動くから。

気持ちが生き生きと躍動して始めて身体が動く。

苦虫噛み潰したような、怖い顔なんていらない。

そんなのはプロレスラーの営業顔。

飄々と喜びを持って相手と対する。

そう成れるように気持ちを育てる。

太気拳は気と気分。

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積み重ねるんじゃなくて 壊しつづける

725日(土)―2

about 太気拳

予報では曇りだったんですが、実際は晴れ。

それも非常に蒸し暑い。

木陰でのんびり立禅。

といきたいんですが、弟子がいるんでそうも言ってられません。

歴の浅い弟子が練りで苦労してる。

手と脚の動きがなかなか一致しない。

本人もそれは判ってるんだけど、どうしたらいいか判らない。

どうやったら手と脚の動きが繋がるのか苦悩。

工夫しなさい。

稽古って言うのは工夫っていう事。

苦労しなさい。

稽古って言うのは苦労っていう事。

何だって、形から入るもんだけど、

大事なのはそれを自分のものにしていくときの苦悩、工夫。

ほんとに必要なのは、うまく出来るようになる事じゃないかもしれない。

そうじゃなくて、うまく出来ない自分を正面から見る事。

自分自身の中を見つめる事が一番大事なこと。

今まで何気なくやってきた事。

立つ事も歩く事も、みんな含めて見直す事。

よくなるって言うことを皆ちょっと勘違いしてる。

いろいろやって、その積み重ねで良くなるって思ってる。

そうじゃない、と僕は思う。

稽古するって言うことは、昨日の自分を否定する事。

積み重ねるんじゃなくて、壊しつづける事。

昨日こうだって思った事を、そうじゃないって言う風に否定し続けること。

前提だとか、当たり前だと思ってる事を、本当かっ?て疑ってみる事。

そうやって、新しい自分を作り続けること。

当たり前だ。と考えもしないくらい当たり前だ、と思ってる事に眼を向ける事。

みんなが素直に、常識を常識だと思ってる事を疑ってかかる。

それは自分を疑うって事でもある。

自分がこう思ってるなんて言う事は、

高々じぶんがこう思ってるだけの事だって言うことに気がつかない。

その自分の傲慢を壊しまくる。

だから結構苦しい。

でもその足下を見直す事からしか始まらない。

ほんとのことって言うのは、みんな足下に転がってるんだ。

でも、殆どの人はそれに気がつかない。

自分と向かい合おうとしないからだ。

自分を疑う事をしないからだ。

どんな武術にも特別な事なんて有りはしない。

「青い鳥」とおんなじだ・・・。

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立つ、歩く。

7月23日(木)

5時半起床。

曇天、カメラを持って海岸へ、

と思ったらぱらぱらと雨が落ちてきたので写真は中止。

写真は昨日の午後の茅ヶ崎海岸。

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これだけ波があると、普通はもっと混むんです。

でも、連日波があるので皆さん少々お疲れ気味でお休みの方々も居るようです。

そこを押して、僕は8時過ぎから入ってきました。

最初は腹胸サイズ。

暫らくして干潮間際には頭サイズに。

今まで目礼はしても口を利いたことの無い同年代と思われる先輩サーファー。

いつもショートでカっ飛んでるローカルさんです。

ニコッと笑って「頑張ってますね」。

「イヤ~、全然上手くならなくて」。

こんな一言で場が和んでくるんですね。

ここのところ、袖なしで寒い思いをしてるので一計を案じました。

お尻が破れて着られなくなった冬物のウエット・スーツ。

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これを鋏でジョキジョキ。

半そでの夏用タッパの出来上がりです。

お蔭で全然寒くありませんでした。

ホントは新しいのが欲しいんですが、今年の夏はこれで我慢。

ボード買ったり、ウエット買ったりしてばかりいるんで、

連れ合いにちょっと遠慮してるんです。

それでも一応これを見せて、

「来年は新しいの欲しいな~」の一言は忘れません。

何事にも布石は必要かと・・・。

About 太気拳

新しく入ってきた人間には最初に立禅。

で、次に這い。

その一連の手順で自分の身体に眼を向けさせる。

何の気なしに「立つ」普段やってるように「歩く」を止めさせる。

どうやって立ってるか、何で歩いてるのか、に眼を向けさせる。

特に「這い」。

やって見せる、そしてやらせる。

見てもできない事を判ってもらう。

何処が違うかを考えてもらう。

考える、悩む、が稽古の基本。

最近の健康ブームでヨガだとか気功だとかよくでてる。

全部機械的に身体を動かせば、それで効果がっていうのを宣伝してる。

頭が空っぽでも、やれば効果があるって言うわけだ。

あほらしいね、ホントに。

だから空手や合気道を十年二十年やって入ってきても、歩けない、立てない、が殆ど。

一番最初に稽古するのが、立ち方と歩き方。

形を通じて、立っても歩いても無くならない感覚を味わってもらう。

それが判れば後は簡単。

それを失わないでいるのが稽古の中心。

普通の生活とは身体の状態を切り替える。

それが稽古って言う事を頭に入れてもらう。

こんな事は自明の事、と思うけどそれがみんな判ってない。

昨夜テレビでバレリーナの草刈民代の最終公演の番組。

この人の出した本を読んだことあるけど、実に苦悩の連続だったよう。

頭に残ったのは「バレーは非日常だから」。

あ、そうなんだよな、と納得。

太気拳で教える事は言ってみれば身体の非日常化。

普通の立つや歩くと違うのは当たり前。

逆に言うと、みんな普通に立ったり歩いたりの否定、見直し。

そこから始める新しい立つ歩く。

だってそうじゃないと、いくらやっても今と同じ。

土台が変わらなきゃ、何にも変わらんよね~。

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もう一回「姿勢」!

722日(水)

6時起床。

ホントは4時半に一回起きた。

波チェック、うねり1.2メートル。

でも疲労が感じられたので二度寝。

お蔭で爽やか起床。

しかし、昨日と一昨日の波は一体なんだったのでしょう。

低気圧が通り過ぎたわけでもないし。

そう思ってたんですが、昨日海に入ってるときにローカルの方に聞きました。

「あれは前日の風の影響じゃなくて、台風6号のバック・スウェルだよきっと」

台風6号は台湾の東を通って中国大陸へ。

そのうねりが2日かかって湘南へ届いたとの事。

「いままでもあのルートでうねりが届く事あったんですよね」との事。

「まあ、波に名前かいてないから判んないけどね」

納得です。

確かにあのうねりは台風の感じでした。

「名も知ら~ぬ~、遠きし~まより・・・」

って感じで旅をしてきた波だったんですね。

そう考えると、ロマンだね~。

About 太気拳

昨日姿勢に関して

ちょこっと書いたけど、その続き。

要は腰の上に状態がきちんと乗れば良いわけ。

これは別の難しいことじゃない。

例えばスキー・スケート。

上手い下手はおいといて、滑れる滑れないの違いは何処にあるか。

それは腰の上に上体がきちんと乗ってるかどうか。

それが出来れば滑れるっていうこと。

何処が違ってくるかって?

それは自分に聞いてください。

それが感じられるかどうかが、分かれ目。

骨盤と腰椎の関係がちょっと変わってきます。

そしてそのときに所謂エス字カーブが僅かですが変化します。

ただ立ってるときと微妙に変化します。

そう、形にならない変化。

出来ないヒトは見ても判らない。

でも、できる人には見て取れる。

こんなちょっとしたことが、大きな違いを生み出すんですね~。

武術をやるのは土の上。

だからって、きちんと上体が腰の上に乗ってなくて良いって訳じゃない。。

でも、みんなこんな簡単な事に気がつかないんだよね。

なんたって、雪や氷の上だったら転ぶって事になるけど、

土の上じゃ、その心配ないからね。

スケートも出来ないような姿勢で結構みんな頑張ってる。

こういうのを砂上の楼閣って言うんじゃないのかな~。

かわいそうって言うか、ご苦労さんって言うか・・・。

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姿勢だよ、姿勢!

721日(火)

3時半起床、ホントに年寄りは朝が早い。

こうやって、毎朝起きた時間を記録してると、つくづくそう思います。

昨日は結局、朝からサーフィンばっかり。

他の事は頭の中に全然ありませんでした。

朝入って、昼も入って、夕方も入って。

サーフィンして朝飯食って、サーフィンして昼飯食って、

サーフィンして晩飯食って、寝た・・・。

そんだけ、頭んなか、からっぽ。

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湘南では、一日中波乗りできるなんていう日は年に何回か。

海に入るときだけじゃなく、その間にも見物しに海岸に行ったんですが、

そのたびにお会いするローカルさん多数。

って事は、サーフィン以外何にもしてないって言うのは、

僕だけじゃなさそう。

幸福な海の日でした。

今朝も波が残ってるみたいで、うねりは昨夜と同じく1メートル超。

これは海に入らないといけないな、と。

こういう日に入るのは健全な市民の義務です・・・。

ただし、大潮で只今満潮。

ちょっと後のほうが良いかも・・・。

About 太気拳

特に太気拳、って言うわけじゃない。

だけど、いつも気になるのは姿勢のこと。

と言うか、みんなに注意することの大半は姿勢。

これがなかなか曲者。

先日図書館で、筋力トレーニングに関しての本を拾い読み。

その中でとってもアホらしいことが書いてあった。

何があほらしいか、って言うと・・・

「人の正しい姿勢は背骨がエス字カーブをえがいています」って書いてある。

おい、おい、勘弁してくれよ、と僕。

まず、その「正しい」っての止めてくれんかね。

だいたい世の中に一般的に「正しい」なんていう事あるんかね。

特に姿勢なんて言うのは、時に応じて常に変化をするもの。

それを「正しい」って言う言葉で固定する貧相な感覚に驚き。

逆に言えば、姿勢は変化しないっていう発想なんだね、これ書いた人は。

そりゃあ、人の背骨がエス字カーブえがいてるのは知ってます。

でも、それは正しいとか間違ってると言うことじゃなく、一般的にそうだ、ってだけ。

普通みんなそうです、だから正しいって言うことを言いたいらしい。

じゃ、そうじゃないヒトは間違ってるって事になる。

まあ、差別的な人なんですね、このヒトは・・・。

差別云々は別にして、姿勢に関していつもみんなに言ってること。

それは殆どの場合、人の背中はエス字になってる。

だけどそれじゃ何にもできゃしないよ!って事。

みんながそうだから、それで良い、じゃあ苦労は無い。

あるがままが良いんなら、何の苦労もありません、だよホントに。。

大体普通の姿勢が悪いからみんな腰痛だ肩こりだ頭痛だ。って言ってるわけでしょ。

つまりそれは普通の姿勢が悪いって言うこと。

あるがままは宜しくないっていうことです。

普通の立ち姿勢は、言ってみれば省エネ姿勢。

只立ってるだけの姿勢って事。

立ってるのは楽だけど、その代わり腰椎に負担がかかってます、って事。

只立ってるだけの姿勢で出来ることは只立ってるだけ。

それだけのこと。

それで何か出来るなら、稽古なんかしないね、僕は。

いい姿勢ってのは太気拳の根本。

いや、太気拳や武術だとか言うだけじゃなくて、踊りだって歌だってそうだ。

身体を使って何かをやるっていう時に姿勢が大事なのは当たり前。

姿勢ってのは、その人の在り様って事なんだから。

だから最初に教えるのは、機能的な姿勢。

首肩腰をきちんと繋げるのが太気拳の第一歩だし、大前提。

機能的な姿勢、って言うとみんな骨格なんか考えるけど、

まあ、それも要素の一つだけどそれだけじゃない。

内臓が機能し、神経が機能するっていうことも含む。

そういうことを総合的に含めてのより良い姿勢を探す。

それが悪いまんま、ああだこうだやったって、何にもならんのよ実際のところ。

その作業が立禅を含めた稽古。

こういうのってのは、外から見て形に表れにくい。

出来て始めて出来てない人を見て解るって言う種類のこと。

つまり無い人には、あることが判らないって言う、厄介な代物。

だからここら辺は身体じゃなくて心や感覚の範疇かもしれない。

だけど、その根本の姿勢に無頓着で武術やってますって人も多い。

ただ背中を緊張させてるだけって言うのね、硬直しちゃって。

まあ、それぞれですからいいですけど・・・。

おいらはごめんこうむるってだけ・・・。

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オノマトペ

718日(土)-2

about 太気拳

ここのところ何をみんなに掴んでほしいかって言うと、動きと気持ちの繋がり。

今稽古してる間合いをつぶす動きもその一環。

単に前に出ながら打てばいいってもんじゃない。

単純に動きをいくら稽古しても使えないよって事。

技じゃなくて、動きに気持ちを添える事。

技なんか、いくら稽古したって気持ちがそこに乗っかんなければ使えるわけ無い。

じゃあ、気持ちを添えるってどういうことか。

別に難しいことじゃない。

例を挙げれば、長嶋茂雄。

パッと捕ってスッと投げる、ここに気持ちがあるって言う事。

この擬態語、オノマトペ、これが心・気持ちの産物。

気持ちと身体が一つになるとこういう風になる。

パッと捕ってスッと投げる、ここに気持ちの流れと身体の流れがある。

気持ちと身体が繋がった時に、これがでる。

音は運動、音は静止しない気持ちと身体を繋げるリング。

沢井先生もそうだった。

バッと来たらザッと捌いてグッとやる。

動く気持ちと変化する身体。

今やってる稽古だったら、タッタッタッッドンってとこかな。

そのイメージを身体に植えつける。

タッが始まったら、ッドンまで一繋がり。

一繋がりは身体に任せて、気持ちはその先に行けるって言う事。

身体よりも一足先に気持ちが行ってないと、変化に対応できないんだ。

これが出来ないと、その場しのぎの組み手になって展望が開けない。

今日勝っても明日はわからない。

そんなんじゃ、稽古する甲斐が無いってもんだ。

明日の基礎講座もこれ中心にやっていきます。

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守・破・離

6月24

5時起床、梅雨空。パソコンを立ち上げて、天気図と予報、平塚沖波浪データチェック。低気圧接近のせいで南の風が東にシフトしているよう。通過が午後でその後が一番よさそうですが、どうしようか、と思案。

で結局夕方入ったんですが、思ったほど上がらず残念。16時頃に一瞬だけ胸くらいに上がったんですが、潮が上げたせいか乗れなくなりました。

about 太気拳

昨日の稽古ではつくづく教えるって言う事の難しさを痛感。教えるって言うけど、自分は一体何を教えられるんだろう。

よく守・破・離と言う事を芸事で言う。もともとは禅の言葉で、能の世阿弥が言ったそうだけど、太気拳ではそれはどういう事になるのか。

物事を習うにはなんでも最初に形から入る。形がなくては始まらないからだ。でも形は形を学ぶ為にあるんじゃあない。形を通じて形の中にあるもの(つまり形を借りて別のもの)を見つけるわけだ。

太気拳では立禅を組む。何時も同じ公園で禅を組んでいると散歩の人と顔見知りになる。稽古の合間に何をしてるんですか、と聞かれる。答えようがないんだけど、まあ、良い立ち方を探してるんです、と答える。

別に煙に巻いてるわけじゃなくて、本当にそうだからだ。

立ってみると立ち方を知らなかった事に気がつく。いい姿勢ってなんだ、って事に眼が行く。これが立禅という形を通じて、形とは別のもの(つまり自分と言う自然)と向かい合っていくわけだ。そうすると、自分がこうだって思ってることが、ほとんどそうじゃないって言う事に気がつく。良い姿勢だとか言われてる事が結構不自然でいい加減だと言う事を自分の身体が教えてくれる。

自分と言う自然のあり方が、社会的な常識や思い込み、学校で習った良いとされる事とは別のところにあるのが判ってくる。だけどこれは形じゃない。外から見えてくる形とはちょっと違うわけだ。だから教えられない、見つけるしかない。

教える立場としては、自分との向かい合い方を教えられるだけで、そこで何を見出しか、は教えられない。言葉なんかで教えられるのは本当に小指の先程度しかない。

それでも何とか伝えようとするから、しんどい。

形を通じて、自分と言う自然と向かい合って、何時か形を取り去っても自分と言う自然が立ち現れる。それが形が不要になった時。

それが守から破への転調の時なんだろうな。

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